雨夜の怪談
岡本綺堂
秋……殊に雨などが漕々降ると、人は兎角に陰気になつて、動もすれば魔物臭い話が出る。さればこそ、七偏人は百物語を催ほして大愚大人を脅かさんと巧み、和合人の土場六先生はヅーフラ(註:オランダ渡来の、ラツパのような形状をした呼筒。半七捕物帳「ズウフラ怪談」に詳しい。)を以て和次さん等を驚かさんと企つるに至るのだ。聞く所に拠れば近来も怪談大流行、到る所に百物語式の会
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岡本綺堂
秋……殊に雨などが漕々降ると、人は兎角に陰気になつて、動もすれば魔物臭い話が出る。さればこそ、七偏人は百物語を催ほして大愚大人を脅かさんと巧み、和合人の土場六先生はヅーフラ(註:オランダ渡来の、ラツパのような形状をした呼筒。半七捕物帳「ズウフラ怪談」に詳しい。)を以て和次さん等を驚かさんと企つるに至るのだ。聞く所に拠れば近来も怪談大流行、到る所に百物語式の会
岡本綺堂
場所の名は今あらはに云ひにくいが、これは某カフヱーの主人の話である。但しその主人とは前からの馴染でも何でもない。去年の一月末の陰つた夜に、わたしは拠ろない義理で下町のある貸席へ顔を出すことになつた。そこに某社中の俳句会が開かれたのである。 わたしは俳人でもなく、俳句の選をするといふ柄でもないのであるが、どういふ廻り合せか時々に引つ張り出されて、迷惑ながら一廉
岡本綺堂
今から廿二三年前に上海で出版された「騙術奇談」といふ四巻の書がある。わが読者のうちにも已に御承知の方もあらうが、古来の小説随筆類のうちから詐欺的犯罪行為に関する小話を原文のまゝに抜萃したもので、長短百種の物語を収めてある。 そのうちに「銀飾肆受騙」といふ一話がある。金銀の飾物を作る店で、店さきに一つの燈火を置き、その灯の下で店の人が首飾の銀細工をしてゐると、
岡本綺堂
C君は語る。 これは五六年前に箱根へ遊びに行ったときに、湯の宿の一室で同行のS君から聞かされた話で、しょせんは受売りであるから、そのつもりで聞いて下さい。 つい眼のさきに湧きあがる薄い山霧をながめながら、わたしはS君と午後の茶をすすっていた。石にむせんで流れ落ちて行く水の音もきょうは幾らかゆるやかで、心しずかに河鹿の声を聞くことの出来るのも嬉しかった。 「閑
岡本綺堂
Y君は語る。 先刻も十三夜のお話が出たが、わたしも十三夜に縁のある不思議な話を知っている。それは影を踏まれたということである。 影を踏むという子供遊びは今は流行らない。今どきの子供はそんな詰まらない遊びをしないのである。月のよい夜ならばいつでも好さそうなものであるが、これは秋の夜にかぎられているようであった。秋の月があざやかに冴え渡って、地に敷く夜露が白く光
岡本綺堂
綺堂君、足下。 聡明なる読者諸君の中にも、この物語に対して「余り嘘らしい」という批評を下す人があるかも知れぬ。否、足下自身も或は其一人であるかも知れぬ。が、果して嘘らしいか真実らしいかは、終末まで読んで見れば自然に判る。 嘘らしいような不思議の話でも、漸々に理屈を詮じ詰めて行くと、それ相当の根拠のあることを発見するものだ。 勿論、僕は足下に対して、単にこの材
岡本綺堂
千八百八十四年、英国倫敦発刊の某雑誌に「最も奇なる、実に驚くべき怪談」と題して、頗る小説的の一種の妖怪談を掲載し、この世界の上には人間の想像すべからざる秘密又は不思議が存在しているに相違ない、これが即ち其の最も信ずべき有力の証拠であると称して、その妖怪を実地に見届けた本人(画工エリック)の談話を其のまま筆記してある。原文は余ほど長いものであるから、今その要を
岡本綺堂
登場人物――重兵衛。太吉。おつや。旅人。巡査。青年甲、乙。 現代。秋の夜。 相模国、石橋山の古戦場に近き杉山の一部。うしろに小高き山を負いて、その裾の低地に藁葺きの炭焼小屋。家内は土間にて、まん中に炉を切り、切株又は石などの腰かけ三脚ほどあり。正面は粗末なる板戸の出入口。下のかたには土竈、バケツ、焚物用の枯枝などあり。その上の棚には膳、碗、皿、小鉢、茶を入れ
岡本綺堂
秋の修善寺 岡本綺堂 一 九月の末におくれ馳せの暑中休暇を得て、伊豆の修善寺温泉に浴し、養気館の新井方にとどまる。所作為のないままに、毎日こんなことを書く。 二十六日。きのうは雨にふり暮らされて、宵から早く寝床に這入ったせいか、今朝は五時というのにもう眼が醒めた。よんどころなく煙草をくゆらしながら、襖にかいた墨絵の雁と相対すること約半時間。おちこちに鶏が勇ま
岡本綺堂
磯部の若葉 岡本綺堂 今日もまた無数の小猫の毛を吹いたような細かい雨が、磯部の若葉を音もなしに湿らしている。家々の湯の烟も低く迷っている。疲れた人のような五月の空は、時々に薄く眼をあいて夏らしい光を微かに洩すかと思うと、またすぐに睡むそうにどんよりと暗くなる。が勇ましく歌っても、雀がやかましく囀っても、上州の空は容易に夢から醒めそうもない。 「どうも困ったお
岡本綺堂
一日一筆 岡本綺堂 一 五分間 用があって兜町の紅葉屋へ行く。株式仲買店である。午前十時頃、店は掻き廻されるような騒ぎで、そこらに群がる男女の店員は一分間も静坐してはいられない。電話は間断なしにチリンチリンいうと、女は眼を嶮しくして耳を傾ける。電報が投げ込まれると、男は飛びかかって封を切る。洋服姿の男がふらりと入って来て「郵船は……」と訊くと、店員は指三本と
岡本綺堂
大正九年十月九日、甥の石丸英一逝く。この夜はあたかも嫩会の若き人々わが家にあつまりて劇談会を催す例会の夕なりしかば、通知するまでもなく皆々来りあつまる。近親の人々もあつまりて回向す。英一は画家として世に立つべき志あり。ことしの春に中学を卒えたれば、あくる年の春には美術学校の入学試験をうけんといい、その準備のために川端画学校に通いいたるに、かりそめの感冒が大い
岡本綺堂
御堀端三題 岡本綺堂 一 柳のかげ 海に山に、凉風に浴した思い出も色々あるが、最も忘れ得ないのは少年時代の思い出である。今日の人はもちろん知るまいが、麹町の桜田門外、地方裁判所の横手、後に府立第一中学の正門前になった所に、五、六株の大きい柳が繁っていた。 堀ばたの柳は半蔵門から日比谷まで続いているが、ここの柳はその反対の側に立っているのである。どういうわけで
岡本綺堂
思い出草 岡本綺堂 一 赤蜻蛉 私は麹町元園町一丁目に約三十年も住んでいる。その間に二、三度転宅したが、それは単に番地の変更に止まって、とにかくに元園町という土地を離れたことはない。このごろ秋晴の朝、巷に立って見渡すと、この町も昔とは随分変ったものである。懐旧の感がむらむらと湧く。 江戸時代に元園町という町はなかった。このあたりは徳川幕府の調練場となり、維新
岡本綺堂
温泉雑記 岡本綺堂 一 ことしの梅雨も明けて、温泉場繁昌の時節が来た。この頃では人の顔をみれば、この夏はどちらへお出でになりますと尋ねたり、尋ねられたりするのが普通の挨拶になったようであるが、私たちの若い時――今から三、四十年前までは決してそんなことはなかった。 もちろん、むかしから湯治にゆく人があればこそ、どこの温泉場も繁昌していたのであるが、その繁昌の程
岡本綺堂
かたき討雑感 岡本綺堂 ◇ わが国古来のいわゆる「かたき討」とか、「仇討」とかいうものは、勿論それが復讎を意味するのではあるが、単に復讎の目的を達しただけでは、かたき討とも仇討とも認められない。その手段として我が手ずから相手を殺さなければならない。他人の手をかりて相手をほろぼし、あるいは他の手段を以て相手を破滅させたのでは、完全なるかたき討や仇討とはいわれな
岡本綺堂
我楽多玩具 岡本綺堂 私は玩具が好です、幾歳になっても稚気を脱しない故かも知れませんが、今でも玩具屋の前を真直には通り切れません、ともかくも立停って一目ずらりと見渡さなければ気が済まない位です。しかしかの清水晴風さんなどのように、秩序的にそれを研究しようなどと思ったことは一度もありません。ただぼんやりと眺めていればいいんです。玩具に向う時はいつもの小児の心で
岡本綺堂
父の墓 岡本綺堂 都は花落ちて、春漸く暮れなんとする四月二十日、森青く雲青く草青く、見渡すかぎり蒼茫たる青山の共同墓地に入りて、わか葉の扇骨木籬まだ新らしく、墓標の墨の痕乾きもあえぬ父の墓前に跪きぬ。父はこの月の七日、春雨さむき朝、逝水落花のあわれを示し給いて、おなじく九日の曇れる朝、季叔の墓碑と相隣れる処を長えに住むべき家と定め給いつ。数うれば早し、きょう
岡本綺堂
当今の劇壇をこのままに 岡本綺堂 今の劇壇、それはこのままでいいと思う。旧臘私は小山内君の自由劇場の演劇を見た、仲々上手だった、然しあれを今の劇壇に直にまた持って来る事も出来ないでしょうし、文士劇でも勿論あるまい。 医師が薬を盛る時に、甚しく苦い薬であると、患者は「これは非常によく利く」といわれても、飲むのを嫌がる、男はそれでも我慢をして飲みもするが、婦人な
岡本綺堂
読書雑感 岡本綺堂 何といってもこの頃は読書子に取っては恵まれた時代である。円本は勿論、改造文庫、岩波文庫、春陽堂文庫のたぐい、二十銭か三十銭で自分の読みたい本が自由に読まれるというのは、どう考えても有難いことである。 趣味からいえば、廉価版の安っぽい書物は感じが悪いという。それも一応はもっともであるが、読書趣味の普及された時代、本を読みたくても金がないとい
岡本綺堂
二階からといって、眼薬をさす訳でもない。私が現在閉籠っているのは、二階の八畳と四畳の二間で、飯でも食う時のほかは滅多に下座敷などへ降りたことはない。わが家ながらあたかも間借りをしているような有様で、私の生活は殆どこの二間に限られている。で、世間を観るのでも、月を観るのでも、雪を観るのでも、花を観るのでも、すべてこの二階から観る。随って眼界は狭い。その狭い中か
岡本綺堂
年賀郵便 岡本綺堂 新年の東京を見わたして、著るしく寂しいように感じられるのは、回礼者の減少である。もちろん今でも多少の回礼者を見ないことはないが、それは平日よりも幾分か人通りが多いぐらいの程度で、明治時代の十分の一、ないし二十分の一にも過ぎない。 江戸時代のことは、故老の話に聴くだけであるが、自分の眼で視た明治の東京――その新年の賑いを今から振返ってみると
岡本綺堂
能因法師 岡本綺堂 登場人物 能因法師 藤原節信 能因の弟子良因 花園少將 少將の奧園生 伏柴の加賀 陰陽師阿部正親 藤原時代。秋のなかば。 洛外の北嵯峨。能因法師の庵。 藁葺の二重家體にて、正面の上のかたに佛壇あり、その前に經卷をのせたる經机を置く。 佛壇につゞきて棚のやうなものを調へ、これに歌集または料紙箱、硯など色々あり、下のかたは壁にてその前に爐を設
岡本綺堂
俳諧師 岡本綺堂 登場人物 俳諧師鬼貫 路通 鬼貫の娘お妙 左官の女房お留 元祿の末年、師走の雪ふる夕暮。浪花の町はづれ、俳諧師鬼貫のわび住居。軒かたむき縁朽ちたる破ら家にて、上の方には雪にたわみたる竹藪あり。下の方の入口には低き竹垣、小さき枝折戸あり。となりは墓場の心にて、矢はり低き竹垣をへだてゝ其内に雪の積りたる石塔又は卒堵婆などみゆ。雪しづかに降る。寺