岡本かの子 · 日本語
冒頭段落プレビュー
原文 (日本語)
かの女は、一足さきに玄関まえの庭に出て、主人逸作の出て来るのを待ち受けていた。 夕食ごろから静まりかけていた春のならいの激しい風は、もうぴったり納まって、ところどころ屑や葉を吹き溜めた箇所だけに、狼藉の痕を残している。十坪程の表庭の草木は、硝子箱の中の標本のように、くっきり茎目立って、一きわ明るい日暮れ前の光線に、形を截り出されている。 「まるで真空のような夕方だ」 それは夜の九時過ぎまでも明るい欧洲の夏の夕暮に似ていると、かの女はあたりを珍しがりながら、見廻している。 逸作は、なかなか出て来ない。外套を着て、帽子を冠ってから、あらためて厠へ行き直したり、忘れた持物を探しはじめたりするのが、彼の癖である。 洋行中でも変りはなかった。また例のが始まったと、彼女は苦笑しながら、靴の踵の踏み加減を試すために、御影石の敷石の上に踵を立てて、こちこち表門の方へ、五六歩あゆみ寄った。 門扉は、閂がかけてある。そして、その閂の上までも一面に、蜘蛛手形に蔦の枝が匍っている。扉は全面に陰っているので、今までは判らなかったが、今かの女が近寄ってみると、ぽちぽちと紅色の新芽が、無数に蔦の蔓から生えていた。そ

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