梶井基次郎 · 日本語
冒頭段落プレビュー
原文 (日本語)
師走のある寒い夜のことである。 閉め切った戸をがたごと鳴らしながら吹き過ぎる怖ろしい風の音は母親の不安をつのらせるばかりだった。 その日は昼下りから冬の陽の衰えた薄日も射さなかった。雪こそは降り出さなかったが、その灰色をした雪雲の下に、骨を削ったような櫟や樫の木立は、寒い木枯に物凄い叫びをあげていた。 それは冬になってからの初めての寒い日で、その忍従な母親にもあてのない憤りを起させる程の寒さだった。彼女には実際その打って変ったような寒さが腹立たしく感ぜられたのである。天候に人間の意志が働き得ないことは彼女とて知っていた。そうだったらこの憤懣は〔欠〕――彼女達の一家はこの半月程前に、すみなれた大阪から、空風と霜どけの東京の高台の町へ引越して来たばかりだった。 主人の放蕩、女狂い、酒乱がそれまでにとにかく得て来た彼の地位を崩してしまった。そして彼は東京の本店詰めにされ、おまけにその振わない位地へ移されたのだった。彼はそれがある同僚の中傷に原因しているのだと云って彼女の前では怒っていた。しかし彼女はなにもかもみなあきらめていた。唯一つ彼女にとって未練であったのは自分の生みの父親に別れることだ
梶井基次郎
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