岸田国士 · 日本語
冒頭段落プレビュー
原文 (日本語)
内海達郎は、近頃あまり経験したことのない胸騒ぎを感じた。それは、十数年前にパリで知合つて、わりにちかしく交際をした一人のフランス人、ロベエル・コンシャアルから、思ひがけない手紙を受けとつたことからである。 手紙の文句はあらまし――戦争はすんだが、君の消息をまづ知りたい。無事であつてくれることを心から祈る。おそらく、君からの直接の返事が貰へるとしても、それを待つてゐる暇は自分にはないと思ふ。一ヶ月後には東京に向つて出発する。ある貿易商の秘書兼通訳の資格でといへば、君は、自分の日本語研究が今やつと役に立つたのだといふことを察しるだらう。船は君も承知のアンドレ・ルボン、ヨコハマ着は七月の末、そちらも雨季が明けた頃だと思ふ。家内や子供としばらく別れるのはつらいが、君のあの頃のことを思ひ出してみて、同じ運命が自分を訪れた皮肉におどろいてゐる。写真でしか知らぬマダム・ウツミに僕の敬意を伝へてくれたまへ。親愛なる友よ、再び君の手を固く握り得るチヤンスが近いことを確信する、といふ意味のものであつた。 実をいふと、このロベエル・コンシャアルといふ男を友人にもつてゐるといふことを、内海達郎は、今日まで忘れ

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