岸田国士 · 日本語
冒頭段落プレビュー
原文 (日本語)
書斎を転々と方々にうつしてゐる私を、あなたはおわらひになり、また放浪癖がはじまつたとおつしやるのですが、たしかに、さういふところもないではないでせう。しかし、ただそれだけのことと思つてくださつては困ります。すこし開き直つていへば、今の時代は、ひとところにゐて物をみることは不可能だといふことです。場所をかへたらどれだけ物がはつきりみえるか、といふことは、私が、静岡の町はづれに、上州の山村のさびれた避暑地に、それぞれいく月かを過して、たまに東京へ舞ひ戻つて来るといふただそれだけの生活を通して、なにか、今まで自分の視界から逃れてゐた時代の性格のいはば基底とでもいふべきものをつかみ得たやうな気がするのです。 時代の真の性格といふものは、決して一つの書斎の窓からのぞき得るものではなく、現在の新聞の社会記事のなかに浮び出てゐるものでもありません。そこになにかが映つてゐるとすれば、それはただ片鱗にすぎません。しかも、全体を問題にするならば、それらの片鱗は、しよせん見ても見なくてもよいものです。 こんなことはあなたにわざわざ申す必要のないことですが、まつたく今日ぐらゐ角度をかへて物を見なければならぬ時
![S夫人への手紙[別稿] の表紙](/_next/image?url=%2Fapi%2Fcontent%3Fpath%3Dcovers%2Faozora-001154-044751.jpg&w=1024&q=75)
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