国枝史郎 · 日本語
冒頭段落プレビュー
原文 (日本語)
私が支那へ行ったのは満洲事変の始まった年の、まだ始まらない頃であった。 上海、南京、蘇州、杭州、青島、旅順、大連、奉天と見て廻った。約一ヶ月を費した。 汽船は秩父丸であった。船がウースン河へ這入り、岸の楊柳が緑青のような色に萌え、サンパンだのジャンクだのが河の上をノンビリと通っている風景は美しかった。 デッキに立ってそういう風景を見ていると、同伴の妻が突然声を上げて河の一所を指さしたので私は其方を見た。 一隻の小船が、日傘をさした男と船夫とを乗せて、ノタノタと動いていたが、その横を通った大きな汽船の余波を食って、転覆しかかっているのであった。とうとう転覆して、日傘の男も船夫も河中へ落ちた。 ところが日傘の男は片手で依然として日傘をかざし、片手で船縁へ取付いて悠然として流されてい、船夫の方は、これも船縁に取付いたまま悠然と流されているではないか。悲鳴も上げなければ助けも乞わない。そうしてその附近を上下している沢山の小船の人も、別にあわてて助けようともしない。 そのうちに私の秩父丸は行過ぎて了ったので、難破した二人の人間の運命がどうなったかしらないが、あんな場合にも周章てず騒がず、日傘を大
国枝史郎
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