幸田露伴 · 日本語
冒頭段落プレビュー
原文 (日本語)
昔、中国の詩人陶淵明は、書物を読むにあたっては甚解を求めないと云った。むずかしく細かな点まで穿鑿した煩わしい解釈が、甚解というものだ。読書人の読書はその大意が解ればそれで良いので、淵明のような読書人が甚解を求めなかったのは当然のことだ。しかし書物を読んで自分勝手に解釈したり、誤解したり、咀嚼もしないで生半可な解釈をしたり、解らないところが有っても強いて読み過ごして、いわゆる丸呑込みをして、それで済ませるなどというのは宜しくない。まして聖賢の書は、言葉は簡単だがその意味するところは遠いものなので、自分勝手な了見で、疎かに読み下し、そして読了するようなことは、実に宜しくない事である。力の及ぶ限りは、正しく理解し、精しく理解し、深く理解し、全体を理解し、それによって博大な内容、微妙な意味を受け取るべきなのである。そもそも聖賢の書は、書の言語文字が解り、趣旨内容を理解することだけを求めるものでは無く、人がその教を会得して実行するためのものなので、読む者が能く理解し能く覚った後に、その心をその中に浸し味わい、その身をその境地に該当させて、聖賢の意を考え求めるならば、次第にその真実の景象に接するこ
幸田露伴
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