佐左木俊郎 · 日本語
冒頭段落プレビュー
原文 (日本語)
私の郷里は(宮城県玉造郡一栗村上野目天王寺)――奥羽山脈と北上山脈との余波に追い狭められた谷間の村落である。谷間の幅は僅かに二十町ばかり。悉く水田地帯で、陸羽国境の山巒地方から山襞を辿って流れ出して来た荒雄川が、南方の丘陵に沿うて耕地を潤し去っている。 南方の丘陵は、昔、田村麻呂将軍が玉造柵を築いたところ。荒雄川の急流を隔てて北方の蝦夷に備えたのであろう。後に、伊達正宗の最初の居城、臥牛の城閣がこの丘の上に組まれ、当時の城閣を偲ばせる本丸の地形や城郭の跡が今でも残っている。 「栗駒おろし吹きなびく 臥牛城下に生をうけ 残されたりし英雄の ……」 私達は子供の時分、そんな歌を歌った。 併し、私の生まれた部落は、北方の丘陵に近く、南方の山脚を洗う荒雄の水音を、微かに聞く地点なのである。 南方の丘陵が武将の旧跡なら、北方の丘陵は宗教の丘である。即ち聖徳太子の四天王寺の一つが今の地名をなしている。豪壮な伽藍は、幾度も兵火にあいながら、私達の子供の時分までは再建を続けられていたのだそうだが、坊主が養蚕で火を出してから、今では仮普請の小さなものになってしまった。当時、聖徳太子が自ら刻んだという如意
佐左木俊郎
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