下村湖人 · 日本語
冒頭段落プレビュー
原文 (日本語)
憤怒に打ち克つもの、それはただ慈心のみである。世に、対立を超越したものほど、尊く、高く、かつ強きものはない。 平安朝もおわりに近いころ、北面の武士から、年わかくして仏門にはいった二人の偉丈夫があった。その一人は佐藤義清、もう一人は遠藤盛遠である。義清は二十三歳、盛遠は十八歳で剃髪した。前者は一所不住の歌人西行、後者は高雄神護寺の荒行者文覚である。 おなじく仏門にはいっても、二人の心境は、火と水のようにちがっていた。文覚が、燃ゆるがごとき情熱と、怒濤のごとき意力とをもって自己を鍛錬しつつ、つねに世の動きに関心を持ち、頼朝のために院宣を請うたり、天皇廃立の不軌を企てたりしたのに反して、西行は、豪宕の性をもちながら、一杖一笠、しずかに自然を友として嘯咏自適、あたかも銀盤に秋水をたたえたような清純な生涯をおくったのである。 文覚にいわせると、西行は仏門の賊であった。「沙門のくせに、行雲流水を友として、四方に周遊し、吟咏に日を送って、衆生済度の心を失っているのは怪しからぬ。」というのが、彼の腹であった。そして、いつも口癖のように、「西行に会ったら、頭をたたき割ってやる。」と豪語していた。 一方、
下村湖人
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