田中貢太郎 · 日本語
冒頭段落プレビュー
原文 (日本語)
明治三十年比のことであったらしい。東京の本郷三丁目あたりに長く空いている家があったのを、美術学校の生徒が三人で借りて、二階を画室にし下を寝室にしていた。 夏の夜のことであった。その晩はそのあたりに縁日があるので、夕飯がすむと二人の者は散歩に往こうと云いだしたが、一人は従わなかった。 「杖頭もないのに厭なこった」 「まあ、そんなことを云わずに往こうじゃないか、今晩はきっと美人がいるぜ」 「杖頭がないのに、美人を見たら、尚おいけない、厭だ、厭だ」 「人のすすめる時には往くものだよ」 「厭だ、厭だ、人の汗なんか嗅いで歩るくのは、御苦労なこった」 こんな会話があってから、二人の生徒が出かけて往ったので、家に残った生徒は横になって雑誌の拾い読みをしていたが、睡くなったので蚊帳の中へ入って寝た。そして、とろとろとしていると、何か物の気配がするので眼を開けて枕頭を見た。枕頭になった蚊帳の外には一人の女が坐っていた。生徒はびっくりして眼をったところで、女の姿はもう無かった。 生徒は鬼魅が悪くなったので、寝床を飛びだして二階へあがり、洋燈の燈を明るくして顫えていると、間もなく二人の生徒が帰って来た。 「
田中貢太郎
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