田中貢太郎 · 日本語
冒頭段落プレビュー
原文 (日本語)
彼女は裏二階の階子段をおりて便所へ往った。郊外の小さな山の上になったその家へは、梅の咲くころたまに呼ばれることはあるが、夜遅くしかも客と二人で来て泊まって往くようなことはなかったので、これまではなんとも思わなかったが、独りで便所へ往くとなるとさびしかった。彼女は婢が来たなら便所の判らないようなふりをしていっしょに傍まで往ってもらおうと思ったが、婢はこうした二人伴の客の処へは来ないことになっているのでそれもできなかった。 東京の近郊では有名な料理店で木材も大きながっしりしたのを用いてあるが、もう新らしい時代にとりのこされたような建物で、点けてある電燈も微暗かった。便所は裏二階の降口を左に往って、その往き詰めを右に折れた処にあった。縁側からその便所へは一跨ぎの渡廊下がついていて、昼見ると下には清水の流れている小溝があって石菖などが生えていた。渡廊下の前には寒竹のような小さな竹で編んだ眼隠がしてあった。入って往くと往き詰めの左側が共同便所のような男の便所になり、右側が女の便所になって、その向いが洗面所と手洗場になり、そこの壁には大きな鏡をとりつけてあった。彼女は淋しいので急いで取附の便所へ入
田中貢太郎
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