田山花袋 · 日本語
冒頭段落プレビュー
原文 (日本語)
長い間心に思つたT温泉はやつと近づいた。其処に行きさへすれば、あとは帰つたやうなものである。そこからFへは三里、その埠頭には海峡をわたる連絡船が朝に夜にちやんと旅客を待つてゐて、その甲板の上に乗つて居さへすれば、ひとり手にその身は向うへ運ばれて行くのである。W町からの乗合自動車の中でKはほつと呼吸をついた。 「明日の朝の連絡船では、ちよつと忙しいね」 一緒に長いこと伴れ立つて歩いて呉れた画家のSは、それを聞くと、一種の微笑を顔に浮べて、 「朝はちよつと無理ですね。何うしても夜のになりますね?」 「さうですかな?」 「まア、T温泉でゆつくり休んでいらつしやる方が好いですね」 それは早く帰国されたいのは無理はないけれども、私を御覧なさい!、此処まで来てゐながら、国にも帰れずに、Fの埠頭まで貴方を送り届けると、そのまゝすぐ元の方へ引返さなければならないのではありませんか。Sの言葉にはさうした心が籠められてあるのがKにもわかつた。 「さうですね。君にも随分厄介をかけましたね。何しろ北はハルピンから蒙古のパインタラまで行つて、引返して朝鮮では金剛山まで行つて頂いたんですからね。何うです? 君も、
田山花袋
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