永井荷風 · 日本語
冒頭段落プレビュー
原文 (日本語)
雷門といっても門はない。門は慶応元年に焼けたなり建てられないのだという。門のない門の前を、吾妻橋の方へ少し行くと、左側の路端に乗合自動車の駐る知らせの棒が立っている。浅草郵便局の前で、細い横町への曲角で、人の込合う中でもその最も烈しく込合うところである。 ここに亀戸、押上、玉の井、堀切、鐘ヶ淵、四木から新宿、金町などへ行く乗合自動車が駐る。 暫く立って見ていると、玉の井へ行く車には二種あるらしい。一は市営乗合自動車、一は京成乗合自動車と、各その車の横腹に書いてある。市営の車は藍色、京成は黄いろく塗ってある。案内の女車掌も各一人ずつ、腕にしるしを付けて、路端に立ち、雷門の方から車が来るたびたびその行く方角をきいろい声で知らせている。 或夜、まだ暮れてから間もない時分であった。わたくしは案内の女に教えられて、黄色に塗った京成乗合自動車に乗った。路端の混雑から考えて、とても腰はかけられまいと思いの外、乗客は七、八人にも至らぬ中、車はもう動いている。 活動見物の帰りかとも思われる娘が二人に角帽の学生が一人。白い雨外套を着た職工風の男が一人、絣りの着流しに八字髯を生しながらその顔立はいかにも田舎
永井荷風
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