中里介山 · 日本語
冒頭段落プレビュー
原文 (日本語)
一 信濃の国、白骨の温泉――これをハッコツと読ませたのは、いつの頃、誰にはじまったものか知らん。 先年、大菩薩峠の著者が、白骨温泉に遊んだ時、机竜之助のような業縁もなく、お雪ちゃんのようにかしずいてくれる人もない御当人は、独去独来の道を一本の金剛杖に託して、飄然として一夜を白槽の湯に明かし、その翌日は乗鞍を越えて飛騨へ出ようとして、草鞋のひもを結びながら宿の亭主に問うて言うことには、 「いったい、この白骨の温泉は、シラホネがいいのか、シラフネが正しいのか」 亭主がこれに答えて言うことには、 「シラフネが本当なんですよ、シラフネがなまってシラホネになりました……シラホネならまだいいが、近頃はハッコツという人が多くなっていけません――お客様によってはかつぎますからね」 シラホネをハッコツと呼びならわしたのは、大菩薩峠の著者あたりも、その一半の責めを負うべきものかも知れない。よって内心に多少の恐縮の思いを抱いて、この宿を出たのであったが、シラホネにしても、ハッコツにしても、かつぐどうりは同じようなものではないか。こんなことから、殺生小屋を衛生小屋と改めてみたり、悲峠をおめでた峠とかえてみたり

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