長塚節 · 日本語
冒頭段落プレビュー
原文 (日本語)
須磨の浦を一の谷へ歩いて行く。乾き切つた街道を埃がぬかる程深い、松の木は枝も葉も埃で煤が溜つたやうに見える、敦盛の墓の木蔭にはおしろいが草村をなしてびつしりと咲いて居る、柔かな葉はやつぱり埃が掛つて居るが、赤や黄の相交つた花には目立つて見えぬ、敦盛とおしろいの花といふ偶然の配合に興味を感じて名物の敦盛蕎麥へはいる、店先にはガラスの駄菓子箱があつてそれも埃である、歪んだ二疊程の座敷へ腰を掛ける、狹い土間には膝と突き合ふ計に松薪がしだらなく積んである、女房が蕎麥を呉れた、不味いこと甚だしい、淺い丼一杯だけやつと喰つた。女房の帶は落ち相である、隅の方で蕎麥を打つてる亭主は尻きり襦袢が粉だらけである、滅多に洗ふこともないと見える、然し段々俗化して行く須磨の浦にこんな野暮臭い名物が昔の儘に存して居るのは却てゆかしい心持がする、おしろいの花も蕎麥屋が植ゑてそれが段々に殖ゑてこんなに茂つたのだと思ふと一入感じがよくなる、一雨ざつと降りさへすれば松の葉もおしろいの葉も埃がすつかり洗はれて秋の涼しさは頓に催すのであらうが、蕎麥屋は依然として不味い蕎麥打つて名物の稱を恣にして居るのだと思ふと更に面白くなる
長塚節
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