中原中也 · 日本語
冒頭段落プレビュー
原文 (日本語)
今までの詩(新体詩)は熱つぽいと思ふ。それはつまり様々の技法論が盛んで、分析的な気持が強かつたからであると思ふ。私は今度はじめてさういふ気持を味はつた。つまり子供の時のやうな気持に帰つた。つまり水が低きにつく如く、花がひそやかであるが如き気持がなければ、詩は駄目だと思つた。さういふ気持になるには、己を空うせねばならない。 あまりに自我の強い芸術は、無意識、つまり法悦的境地を欠くから、感覚の性質が如何によくとも、人をジツクリと楽ませることが出来ない。 以上のことは、自身気付いたばかりのことであるから、云ふのがくすぐつたいが、自分の今迄を顧みても、最初詩の概念が分つたと思つたが、しかし書く時には、気分が失はれる。そこで、色々と分析的な努力をもしてみたが、やはり駄目で、すつかり自信を失つた気持であるやうな場合もあつた。それが、今度偶然にも、自分の無力をすつかり感じ、その時から、次第に、詩といふものゝ真義も分つて来るやうに思へ出した。 これを道徳面に投射して考へてみると、すべて自分の労を多としないといふ謙譲な気持であると思ふ。然し人間は弱いものであるから、自分の労を多としまいと思つてゐても傲慢
中原中也
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