久生十蘭 · 日本語
冒頭段落プレビュー
原文 (日本語)
二時半に食堂部が終ると、外套置場と交換台に当番をおいてレジスターやルーム・メイドが食事に行く。客室から信号も鳴らず帳場へくる客もなく、ラウンジに外来が二三人残るほか、四時ぐらいまでのあいだ社交部といっているあたりがひっそりする。 八時から昼食までの伝票を分けて室別になった整理棚へほうりこむと、鶴代の今日のおつとめはおしまいになった。電車でフラットへ寝に帰る気もしない。脇間の籐椅子でひととき頭を霞ませていると、川田がふらりとフロントへ入ってきた。 なにがあるのか、きょうはめずらしくきちんとドレスアップしている。アメリカの西部ではこれが夜会服になっているというグレイのジャケットにタキシード用のトルウザァスの組合せで、襟に黄色いミモザの花をつけている。 「いらっしゃいぐらいいわないのかい」 「いらっしゃい」 「おかしなところに坐りこんでいるよ。ラウンジへでも行こうか」 「ここでいいじゃありませんか。どこだっておなじよ」 「タバコを買い忘れた。ひとつわけてもらおうかな」 「そのへんにこないだのアーケディアが残っているはずよ」 「そのへんって、どのへんだ。まあすこし立ちなさい」 「デスクの抽斗し
久生十蘭
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