久生十蘭 · 日本語
冒頭段落プレビュー
原文 (日本語)
春雨の降る四月の暗い日曜日の朝、渋谷の奥にあるバラックの玄関の土間に、接収解除通知のハガキが、音もなく投げこまれた。 自分の家には、毛色のちがう名も知らぬひとがはいりこみ、当の持主の家族は、しがない間借りか借家で、不自由しながらゴタゴタしているのは、戦争に負けたせいだと思っても、あきらめきれるものではなかったろう。収用にかかっていた物件は、すべて講和発効と同時に返還されるだろうという噂は、前の年の暮れあたりから、そろそろと立ちかけ、知合いのなかには、わざわざ調達局まで念をおしに行ったひともあった。 終戦の年に接収された個人住宅が、四月二十八日をもって、一斉に解除になり、七年ぶりで持主の手に返されることになったというよろこばしい通知は、どこの家庭でも大歓迎されたことだろうが、わが石田家では、破産宣告か、死亡通知でも受け取ったような、痛烈な衝動を受けた。 われわれの家……といっても自分で建てた家ではない。株か相場でドカもうけをし、政党屋の仲間入りをするようになった石田氏の養父にあたるひとが、麻布三河台にあった大名の古屋敷に、洋館を継ぎ足してこしらえたもので、唐草模様の鋳金の鉄扉のついた大き

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