平林初之輔 · 日本語
冒頭段落プレビュー
原文 (日本語)
左手には三浦半島から房総半島の淡い輪郭が海の中に突きだしている。 右手には伊豆半島の東側の海岸線が鋸歯状に沖へ伸びている。 正面には大島が水平線に浮いて見え、遥か手前には、初島がくっきりと見える。 すぐ眼の下には、熱海駅前の雑踏や、小学校のグランドに飛びまわっている子供らの声が、雲雀の囀るように聞こえる。 龍之介はMホテルのテラスの籐椅子に背をもたせて、身体いっぱいに日を浴びて、眼をつむっていた。すぐそばで、ホテルのコックがスポンジボールでキャッチボールをしている音が単調に聞こえる。一月の末だったけれど、ぽかぽかと暖かかった。 ぼんやり眼を開いてみると、すぐそばに山野さんが立っていた。彼女は二十二三の年格好で、見たところ、お嬢さんとも、奥さんともつかなんだ。ホテルでも、この女が何者かわからないと見えて、あたらず、さわらずに「山野さん」と呼んでいた。 「今日は暖かいですね」 龍之介はあわてて言った。 「ほんとに暖かですわ」 それっきりで会話はおわった。両方ともあまり話ずきではなかったし、別に話をする共通の材料もなかった。それで二人は、顔を合わせれば五度に一度は、きまり文句の挨拶を交わすだ
平林初之輔
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