前田夕暮 · 日本語
冒頭段落プレビュー
原文 (日本語)
夜 私の追憶のなかで木枯の音がきこえる。木枯の凄まじい音にまじつて、とぎれとぎれに呼ぶ人の声がきこえる。 どうつといふ海嘯のやうな、天も地も吹きとばしさうな風の音が、裏山の方から捲きかへして寄せてくる。と、青竹の数百本、数千本が一時に殺到して、私の寝てゐる上の屋根に掩ひかぶさるやうになつて、大擾乱の騒音に、何も彼も引きさらつて行く。 「おおい……。」 「おおい……。」 「おおい……。」 といふ人のかぼそい声が幽かに、風の底でかすれてきこえる。それは向う山のやうでもあり、裏山のやうでもあり、田圃中のやうにもきこえる。風に吹きとばされる寂しい幽かな人声は、私の追憶のなかで、いかにも哀れに絶え絶えときこえる。 あたりは一面のうす墨を流して、雑木山の裸の尖つた梢が、うす明るい空に、疎らに黒く見える。そして、その梢でさへが、北から南の方へ揺れなびいてゐる。その雑木山のつづきには大きな一かたまりの針葉樹林が、ただ黒く、ただに暗く、空の下に凍つた夜の胞衣のやうにかたまつてゐる。 私の追憶のなかの人声は、はうはうとしてその黒い胞衣の森からくる。 昼 日のあたつた往還が水をかけられたやうに、さつとうす暗
前田夕暮
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