牧逸馬 · 日本語
冒頭段落プレビュー
原文 (日本語)
食卓の人々は、つと顔を見合わせた。かすかに叩戸の音が聞えた――ような気がしたのだ。 夜の八時過ぎだ。おそい晩飯だ。小作人ドルフ・ホルトン―― Dolf Horton ――の家である。野良を終っても、何やかや仕事が残って、いつも食事が遅れる。英吉利の四月は、春とはいってもまだ冬の感じだ。八時にはもう真っ暗で、ことに今夜は霧がある。しっとり濡れた濃い闇黒が戸外に拡がって、この、ブリストル市に通ずる田舎道は、覆をしたようにしずかだった。 英国グロセスタシャア州、アルモンズベリイ市―― Almondsbury, Gloucestershire ――の町外れである。 農夫ホルトンの一家が台所につづいた些やかな食堂で簡単な夕食をしたためている。いま叩戸の音がしたようだが、耳を澄ますと何も聞えないので、一同はまた黙ってフォウクを取り上げた。 と、ふたたび細君が皆を制して、 「あら、誰か来ていますわ」 聞耳を立てた。やはり玄関に物音がする。確かにノックだ。あたりをるように、だが二、三度、今度は、はっきり聞えた。 内気な訪問者らしい。気兼ねしながら、しきりに表ての戸を叩いているのだ。 「何人でしょう、い
牧逸馬
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