牧野信一 · 日本語
冒頭段落プレビュー
原文 (日本語)
止める止めるとこぼしながらうまくゆかないのが多くの飲酒者の通例であるが、止めようと思つたら飲まなければ好いのにと僕は思ひそんなことは口にもせず飲みつゞけてゐたところ急に具合が悪くなつたので止めて見たところ、一向僕には未練もない、性根は余り酒好きでもなかつたのか知ら、他人の酔つてゐるのを見ても白々としたもので、自分も酔つてゐた時はあんな風だつたのか! と思つても別段羨しくもなければ、後悔もなく、まこと変哲のなさの至りである。――左う口で云ふほどのきまりがつかぬのが、云はゞ酒の妙味であり、それは恰も返さうと念じながら容易に返済も適はぬ負債ある生活――即ち人生を髣髴する慨だなんて、僕のとりとめもない飲酒家であるところの友達がくだを巻いて行つたが、どうやらそんな人生なんて僕には想像されない気もするのであつた。酒を止めて見ると金なども要らず、別に欲しいものなんて一つもあるわけではないので、自然と負債なども少しづゝ片づいてゆくのである。人生観の一部に多少の変動は現れ、誰を見てもまた自分を見ても、朝から晩まで変哲もなく真面目さうであり、自分など斯んなに真面目さうな顔をして居るものゝ、心は案外それほど
牧野信一
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