牧野信一 · 日本語
冒頭段落プレビュー
原文 (日本語)
彼は、自分の父親を取りいれた短篇小説を続けて二つ書いた。 或る事情で、或日彼は父と口論した。その口論の余勢と余憤とで、彼はそれ迄思ひ惑うてゐたところの父を取り入れた第一の短篇を書いたのだ。その小説が偶然、父の眼に触れた。父親は憤怒のあまり、 「もう一生彼奴とは口を利かない。――俺が死ぬ時は、病院で他人の看護で死ぬ。」と顔を赤くして怒鳴つたさうだ。だから彼は、それを聞いて以来、往来で父の姿を見かけると慌てゝ踵を回らせた。彼等はひとつの小さな町に住みながら、父と母と彼と夫々別々の家に住んでゐた。 それ故彼は、もう父親には破れかぶれになつてゐたから第二の短篇は易々と書いてのけた。その上、今も彼が二ヶ月ばかり前から書きかけてゐるのは、またも父親を取り入れたものだつた。それが若し滞りなく出来あがつたら、彼はそれに「父を売る子」と称ふ題名を付ける気でゐる。――次の話は彼が未だその第一の短篇を書かなかつた頃のことである。
牧野信一
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