牧野信一 · 日本語
冒頭段落プレビュー
原文 (日本語)
日暮里の浅草一帯から、大川のはるか彼方の白い空がいつもほのぼのと見渡せる、その崖のふちの新しい二階家の――どうしたことか、その日は、にわかな荒模様、雨や雪ではなくつて、つむぢ風の大騒ぎだつた。かれと僕は、その縁側の硝子戸の蔭に、籐椅子に向ひ合つたまゝ、ぼんやりとその景色を眺めてゐた。どこを、どう飲みあるいたものか、さんざんの態たらくで、何も知らず、例によつてひとりでかれの寓居を突然に朝つぱらからの訪問だつた。かれはおどろいて、わけをきくのであるが、おそらく僕は、おこつたやうな顔つきで、嵐ばかりを眺めてゐたのだ。かれほど、僕のそんな顔つきを持てあます人は絶無であつた。それを知りながら、何故また僕は――と、おもふのであるが、どうすることも出来ない、僕は遊蕩児だつた。 ――で、どこを、何うしたといふのさ……まあ、待てよ、いますぐ仕度が――。 ――酒は、もう、駄目らしい。 と僕は呟いたが、かれは、わらひもせず知らぬ振りだつた。 そのときかれが詠んだのが、 金魚の荷嵐のなかにおろしけり といふ稀代の逸作だつた。かれこれもう十年のむかしのはなしだが、何も彼もが、きのふの夢よりもあざやかである。 つ
牧野信一
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