牧野信一 · 日本語
冒頭段落プレビュー
原文 (日本語)
野菜を積んだ馬車を駆つて、朝毎に遠い町の市場へ通ふのが若者の仕事だつた。 村を出はづれると、白い川の堤に沿つて隣りの村に入り、手おし車ならばそのまゝ堤づたひに真ツすぐに、また次の村に入れるのだが、そのあたりから道が急に狭くなつてゐるので、馬車だと迂回して、鎮守の森の裏手から、村宿を通り抜け、鍛冶屋と水車小屋に、朝の挨拶をかけて、橋を渡るのであつた。 「お前の槌の音が聞えると、タイキ(馬)は、きつと脚を速くするぜ。」 「その脚音は此方にもちやんと聞えるわよ。斯んな勤勉家のお前と私とが、万一夫婦になつたら村一番の金持になるだらうね。」 鍛冶屋の娘と若者は斯んな話を、大声でとり交したことがあつた。 娘のあんな戯談を若者は、どうかして思ひ出すと屹度悲しくなつた。何故だか若者には好く解りもしなかつたし、また、深く考へて見もしなかつたが――。そして若者は、この頃では、鍛冶屋の前を通る時には、 「お早やう!」 と叫んで、振り向きもせずに駈け抜けるやうにしてゐた。 と、屹度、娘も、槌を止めて、何か云つた。――「ヒツプ! ヒツプ!」と、口笛のやうな声をおくることもあつた。 「靴を買つて来てお呉れ! そら
牧野信一
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