牧野信一 · 日本語
冒頭段落プレビュー
原文 (日本語)
八月×日 ――蜂雀の真実なる概念を単に言葉の絵具をもつて描かんと努むるも、それは恰も南アメリカの生ける日光を瓶詰となして、大西洋を越え、イギリスの空に輝く雨と降り灑がうとするが如き不可能事に他ならぬ――。 そんな章句を読みながら、いつかうとうと、眠ると、一羽の蜂雀が渺望たる海の上を飛んでゆく夢を見た。見渡すかぎり睦の影も見あたらず、船に乗つてゐる感もないのに、いつたい自分は何処の隅から、この光景を眺めてゐるのか? と自問して、眼が醒めた。 「ゆうべ何時ごろお帰りになつたの?」 トシは晩飯を運んで来ると、机の上のものを床の間に置換えて食膳の代りに灯りの下に据え直してゐた。 「遅かつた。」 自分も時間などは忘れてゐた。新橋を乗つたのが終列車で、加けに汽車の中でひとりでポケツト壜の酒を空けてしまつたほどであつたから、真暗な田舎路に降りるよりは、一層家族のゐる小田原へ赴く筈だつたのに、やはり自分は此処の駅に降りたものだ。 朝、一度早く起きて、国府津へ赴き朝飯を済してから、山径をまはつて此処に戻つた。夜見村といふところに借りてある仕事部屋である。 「それで、また夜と昼があべこべになつてしまつたの
牧野信一
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