牧野信一 · 日本語
冒頭段落プレビュー
原文 (日本語)
結廬古城下 時登古城上 古城非疇昔 今人自来往 坂を登り、また坂を登り――そして、石垣の台上に居並ぶ家々のうちで、一番隅つこの、一番小さい家に居を移した。だが、朝から晩まで家中に陽があたつて、遠く西北方の空を指差すとゑん/\たる丹沢山の面影が白々しい空の裾に脈々と脊をうねらせてゐる有様が望まれる。それにしても何とまあ麗かな日和続きの、なつかしい冬であつたことよ。私は終日椽側の、こわれかゝつた椅子に蹲つてそれらの山々の、遥の山つづきの麓にある、とある寒村に住み慣れて、猪を追ひかけたり、悪人共と鉾を交へたりした数々の華々しい武勇物語を回想して得意であつた。御覧、私のこの左腕に残つてゐる傷痕は――或る肚黒い酒造業者の酒倉をおそつて、番犬と格闘した思ひ出の痛手だ。向ふ脛にのこつてゐる負傷の痕は、私達のケテイを地代金の代償として手込めにしようとして担ぎ出した悪銀行員の馬車を追つて、月見草のさかんな河堤で、一騎打ちのつかみ合ひを演じた折、私の力が及ばなかつたか、奴の手玉にとられて蛇籠の上にもんどりを打つた時の不覚の傷手である。だが私は、その時、このまゝむざむざと私達のケテイをあのやうな奴輩の獣慾の
牧野信一
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