牧野信一 · 日本語
冒頭段落プレビュー
原文 (日本語)
こんなことを何も僕は決して誇り気に誌すわけではないのであるが、今不図考へて見て男の友達でも女の友達でも――それはいつも極く少人数であるが、一度交際した人と、自分から先に離れたといふ記憶を持たない、つい口の慎しみがなくて親しむに伴れては喧嘩などをすることは屡々であるが、その場限りで二三日経つと悪いことは皆な忘れてしまふ。ナンシーといふアメリカ娘もそのひとりである。少年時代からの友達で、尤も十余年以前に彼女は自国に戻つて幸福なミセスになつてゐるが、未だに文通が絶えない。彼女に就いては、僕は屡々、余程カタチや事情は誇張したが、これまでいろいろと自作の創作中にとり入れて居り、ひところは熱烈な恋愛の相手であつたかのやうにも書いてゐるが、事実を思ひ出して何のうしろ暗さも覚えぬのである。例へば数年以前に観光団に加つて横浜に到着したのを、僕は妻と共々に迎へ、彼女と僕は久闊を述べるいとまもなく感極まつて堅くその場で相擁し、しばしは嬉し涙に掻き暮れたといふ光景を現出しても、別段僕の妻も厭な顔もせず、われわれも何の気もとがめもしなかつたのである。 それ以来は、つい返事の手紙を書き損じ勝ちの僕よりも寧ろ彼女は
牧野信一
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