三木清 · 日本語
冒頭段落プレビュー
原文 (日本語)
語られざる哲学 三木清 一 懺悔は語られざる哲学である。それは争いたかぶる心のことではなくして和ぎへりくだる心のことである。講壇で語られ研究室で論ぜられる哲学が論理の巧妙と思索の精緻とを誇ろうとするとき、懺悔としての語られざる哲学は純粋なる心情と謙虚なる精神とを失わないように努力する。語られる哲学が多くの人によって読まれ称讃されることを求めるに反して、語られざる哲学はわずかの人によって本当に同情され理解されることを欲するのである。それゆえに語られざる哲学は頭脳の鋭利を見せつけようとしたり名誉を志したりする人が試みない哲学である。なぜならば語られざる哲学の本質は鋭さよりも深さにあり巧妙よりも純粋にあるからである。またそれは名誉心を満足させるどころかかえってそれを否定するところに成立するものであるからである。 私のいま企てようとする哲学は、論理的遊戯に慣れた哲学者たちが夢にも企てようとは思わない哲学である。私は自己の才能を試みんがためにこれを書くのではなく、自己の心情の純粋を回復せんがためにこの努力をするのである。そしてこの努力が本当に成功するならば、私はこの一篇を書き終るとともに全く新し
三木清
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