宮本百合子 · 日本語
冒頭段落プレビュー
原文 (日本語)
からたち 宮本百合子 その時分に、まだ菊人形があったのかどうか覚えていないが、狭くって急な団子坂をのぼって右へ曲るとすぐ、路の片側はずっと須藤さんの杉林であった。古い杉の樹が奥暗く茂っていて、夜は五位鷺の声が界隈の闇を劈いた。夏は、その下草の間で耳を聾するばかりガチャガチャが鳴いた。 杉林の隣りに細い家並があって、そこをぬける小路の先は、又広々とした空地であった。何でも松平さんの持地だそうであったが、こちらの方は、からりとした枯草が冬日に照らされて、梅がちらほら咲いている廃園の風情が通りすがりにも一寸そこへ入って陽の匂う草の上に坐って見たい気持をおこさせた。 杉林や空地はどれも路の右側を占めていて、左側には、団子坂よりの人力宿からはじまって、産婆のかんばんのかかった家などこまごまと通って、私たちが育った家から奥の動坂よりには、何軒も代々の植木屋があった。 うちの前も善ちゃんという男の子のいる植木屋で、入口に莢の大木が一本あった。風のきつい日に、莢の実が梢の高いところでなる音をきいたりした。竹垣が低くその下をめぐっていて、赤い細い虫の湧くおはぐろどぶがあった。うちの垣根は表も裏もからたち
宮本百合子
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