国際射的大競技
小酒井不木
昨年オランダに開かれたオリンピック大会で、わが日本選手が三段とびの第一等に入選したとき、私たち内地の日本人がどんなに喜んだかは、おそらくまだ皆さんの記憶にあらたなるところであると思います。あの新聞記事を読んだせつな、思わずも私の目には熱い涙がたまりました。すべての競技がそうでありますけれど、なかんずく国際競技ほど人の血をわかし肉をおどらすものはありません。
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小酒井不木
昨年オランダに開かれたオリンピック大会で、わが日本選手が三段とびの第一等に入選したとき、私たち内地の日本人がどんなに喜んだかは、おそらくまだ皆さんの記憶にあらたなるところであると思います。あの新聞記事を読んだせつな、思わずも私の目には熱い涙がたまりました。すべての競技がそうでありますけれど、なかんずく国際競技ほど人の血をわかし肉をおどらすものはありません。
海野十三
作者は、此の一篇を公にするのに、幾分の躊躇を感じないわけには行かないのだ。それというのも、実は此の一篇の本筋は作者が空想の上から捏ねあげたものではなく、作者の親しい亡友Mが、其の死後に語ってきかせて呉れたものなのである。亡友Mについては、いずれ此の物語を読んでゆかれるうちに諸君は、それがどのような人物で、どのような死に方をしたのであるか、おいおいとお判りにな
宮本百合子
最近の統計によると、日本人の人口比率において婦人の人口が三百万ばかり男子人口よりも多くなっていることが示されました。 この事実は何を物語っていることでしょう? この簡単な数字は野蛮な戦争を強行した日本の封建的・軍事的権力によって、日本の人民生活がどんなにその根本から破滅させられたかを示すものです。 ナチス政権の下においてドイツ人民が苦しんだとおり、ファシスト
宮本百合子
去年の秋、日本プロレタリア作家同盟はその中央常任委員会に属する一つの文学的活動機能として婦人委員会を設けた。 元来プロレタリア文学の中に特別な婦人のプロレタリア文学などというものはない。それは明かなことだ。搾取に対して闘うプロレタリア・農民として男・女の全生活が、階級的芸術の表現をとおして、われらのプロレタリア文学の中に生かされ反映されるべきものだ。 これま
新渡戸稲造
国際聯盟というものに就ては分ったようで分らぬものが多い。英国は聯盟を創設する当時、あれほど熱心に主張した国でありながら、同国人中にはいまだにその性質を充分に理解せぬものが多い。国際聯盟の本場ともいうべき瑞西のジュネーヴに於てさえもこれを知らぬものが多いのであるから、日本では分ったようで分らぬものの多いのは不思議でない。 国際聯盟とは英語のリーグ・オブ・ネーシ
宮本百合子
国際観光局の映画試写会 宮本百合子 五月十九日の朝。日比谷映画劇場へ、国際観光局の映画の試写を見に行った。「富士山」、「日本の女性」。 そのとき挨拶をしたのは観光局の役人で、スマートなダブルの左右のポケットへ両手の先を入れた姿勢でラウドスピイカアの前へ立ち、この二つの作品では特別音楽に力を注いだということの説明があった。「しかし、果して所期の成果をおさめてお
中谷宇吉郎
国際雪氷委員会(International Commission of Snow and Ice)は、ごく最近まで国際雪及び氷河委員会(International Commission on Snow and Glaciers)という名前で、国際水文学協会(International Association of Hydrology)の一部となっていた。 雪
小川未明
旅から旅へ渡って歩く、父と子の乞食がありました。父親は黙りがちに先に立って歩きます。後から十になった小太郎はついていきました。 彼らは、いろいろの村を通りました。水車小屋があって、そこに、ギイコトン、ギイコトンといって、米をついているところもありました。また、青葉の間から旗が見えて、太鼓の音などが聞こえて春祭りのある村もありました。またあるところでは、同じ街
今野大力
ギリシャ古典の趾せる物語りをも 空理としてさげすむ勿れ 吾等生命は土深く埋もれし精霊なりき 神によりてつくられし形態をこそ讃美せる 女人像の豊満なる肉体美をこそ讃美せよ 曲線美なだらかに走れるあたりを讃美せよ 而して土への感謝祭を 土 そは 生命偶像の聖母なりし ●図書カード
グリムヤーコプ・ルートヴィッヒ・カール
ある日、お金もちのお百しょうさんが 庭にでて、じぶんの麦ばたけや くだものばたけを、ながめていました。 麦は、すくすく のびています。くだものは、木に すずなりになっています。やねうらのものおきには、きょねん とりいれた麦が、山のようにつまれています。はりが、ささえきれないくらいです。 お百しょうは、こんどは かちく小屋にはいっていきました。なかには、よくふ
今野大力
おまえはまだ立っているか 力強く立っていようとするか 風は吹いても地はゆらいでも おまえはまだ立っていようと願いるか * 久し振りで地に親しむ事の出来た 土へのおまえの愛は まことに美しいものだ けれども今はおまえの執着は おそろしいものだ * あくまで地に立っている事は あくまで反逆の意味がふくまれている、真実に地を愛し慕うならば おまえは立つ事を やめね
坂口安吾
土の中からの話 坂口安吾 私は子供のとき新聞紙をまたいで親父に叱られた。尊い人の写真なども載るものだから、と親父の理窟であるが、親父自身そう思いこんでいたにしても実際はそうではないので、私の親父は商売が新聞記者なのだから、新聞紙にも自分のいのちを感じていたに相違ない。誰しも自分の商売に就てはそうなので、私のようなだらしのない人間でも原稿用紙だけは身体の一部分
坂口安吾
土の中からの話 坂口安吾 私は子供のとき新聞紙をまたいで親父に叱られた。尊い人の写真なども載るものだから、と親父の理窟であるが、親父自身さう思ひこんでゐたにしても実際はさうではないので、私の親父は商売が新聞記者なのだから、新聞紙にも自分のいのちを感じてゐたに相違ない。誰しも自分の商売に就てはさうなので、私のやうなだらしのない人間でも原稿用紙だけは身体の一部分
小熊秀雄
土の中の馬賊の歌 小熊秀雄 私はこゝにひとつの思想を盛つた食餌を捧げるそれは悪いことかもしらないまた善いことかもしらない、たゞ私が信じてゐるだけのことである。 人々が寝静まつた真夜中にどこからともなく土の中から唄が聞えてくる、がや/″\と大勢で話あつたり合唱したりそれは静かな賑やかな土の中の世界から洩れてくる陽気で華やかな馬賊の歌であつた。 歌は調子のよい賑
寺田寅彦
地名には意味の分らないのが多い。これはむしろ当然の事である。地名は保存されつつ永い年代の間に転訛する、一方で吾々の通用語はまたこれと別の経路を取って変遷するからである。こういう訳であるから地名の研究が民族の過去の歴史を研究する上に重要な意義をもつのは勿論である。しかしそういう意味から地名を研究する場合には、現在の通用語をもって解釈しようとするのでは、無駄でな
紀貫之
男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。それの年(承平四年)のしはすの二十日あまり一日の、戌の時に門出す。そのよしいさゝかものにかきつく。ある人縣の四年五年はてゝ例のことゞも皆しをへて、解由など取りて住むたちより出でゝ船に乘るべき所へわたる。かれこれ知る知らぬおくりす。年ごろよく具しつる人々(共イ)なむわかれ難く思ひてその日頻にとかくしつゝのゝ
福永信
アントニオ・マヌエル・デ・オリヴェイラ・グテーレス国連事務総長が祈りの途中で幻想的なヴィジョンを初めて見たのは、二年前の春のことだった。家具がいくつもキラキラ光りながら浮かんでおり、とりわけ白く輝いていたのが非常に長いテーブルであった。テーブルの一方の端は孤独な惑星のように遠く感じられた。オイと呼びかけてみると、かなり長く待ってから、耳もとにズドラーストヴィ
尾崎士郎
去年(昭和二十一年)の歳末、鈴木信太郎さんがひょっこりやってきて一杯飲みながら、いろいろな画を描いていってくれた。鈴木さんがびっこをひきながら私の住む伊東の町はずれまで来るのは並大抵のことではなかったであろう。口に出してこそ言わなかったが私の流謫生活を憐れみ、私を慰めるためにやってきたのである。私は感興のうごくにしたがって鈴木さんに勝手な注文をしいろいろな画
豊島与志雄
土地 豊島与志雄 鬱陶しい梅雨の季節が過ぎ去ると、焼くがような太陽の光が、じりじりと野や山に照りつけ初めた。畑の麦の穂は黄色く干乾び、稲田の水はどんよりと温み、小川には小魚が藻草の影に潜んだ。そして地面からまた水面から、軽い陽炎がゆらゆらと立昇るのを、蒸し暑い乾いた大気は呑み込んで、重くのろのろと、何処へともなく押し移ってゆき、遠い連山の峰からは、積み重り渦
田中正造
土地兼併の罪惡 田中正造 △切迫して居る境遇 私は皆樣、昨年十月一寸東京へ參つて、一夜島田三郎君の所に往きまして、夫から歸りまして、又直ぐ出て來て堺さんの由分社へ一晩御厄介になつた切り東京へ出て參りませぬ、是非東京へ出て來なければならぬ問題がありまするのでございますけれども、それは出て參れない、出て參れない計りでなく、早や書面に書いて御心配下さる御方々へ御知
豊島与志雄
東京空襲の末期に、笠井直吉は罹災して、所有物を殆んど焼かれてしまいました上、顔面から頭部へかけて大火傷をしました。そして暫く病院にはいっていましたが、退院後は、郵便局勤務の同僚の家に寄寓して、引き続き郵便局に勤めました。 彼の火傷は大きな痕跡を残しました。額から頬へかけて、顔の左半面、皮膚が引きつり、その中央に、打撲の跡があり、耳がちぢれ、耳の後ろに太い禿げ
金史良
牛車や荷馬車、貨物自動車等のごったがえしている場末の鉄道踏切を渡ると、左の方へ小さな田圃路が折れている。その辺りからは路もぬかるみ、左右の水溜りでは雨蛙が威勢よく騒いでいた。小雨は音もなく夕暮の沼地をしっとりと濡らしている。 二人が、お互い黙々と歩いている中に、もう辺りは暗くなった。いくらか屠殺場の附近がぼうっと薄明るいだけだった。淡い電灯の光芒は水田の稲の
伊波普猷
私はかつて記紀万葉などにある七世紀前の大和言葉が今なお琉球諸島に遺っているという事を例に引いて、九州の東南岸にいた海人部の一氏族が、紀元前に奄美大島を経て沖縄島に来たという事を言語学上から証明したことがある。また七世紀の頃、南島人が始めて大和の朝廷に来貢した時分訳語を設けて相互の意を通じたということが国史に見えているから、分離後六、七百年も経ったために、大和
夏目漱石
「土」が「東京朝日」に連載されたのは一昨年の事である。さうして其責任者は余であつた。所が不幸にも余は「土」の完結を見ないうちに病氣に罹つて、新聞を手にする自由を失つたぎり、又「土」の作者を思ひ出す機會を有たなかつた。 當初五六十囘の豫定であつた「土」は、同時に意外の長篇として發達してゐた。途中で話の緒口を忘れた余は、再びそれを取り上げて、矢鱈な區切から改めて