小川の流れ
牧野信一
或日彼は、過去の作品を一まとめにして、書物にすることで、読みはじめると、大変に情けなくなつて、恥で、火になつた。――身も世もなき思ひであつた。 就中、純吉といふ主人公が出て来る幾つかの作品では、堕落を感じて、居たゝまれなかつた。「純吉」が、他人をモデルにしたものでもなく、架空の人物でもなく、読む者に作者自身であるかのやうな概念を与へるのみか、作家自身の態度が
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牧野信一
或日彼は、過去の作品を一まとめにして、書物にすることで、読みはじめると、大変に情けなくなつて、恥で、火になつた。――身も世もなき思ひであつた。 就中、純吉といふ主人公が出て来る幾つかの作品では、堕落を感じて、居たゝまれなかつた。「純吉」が、他人をモデルにしたものでもなく、架空の人物でもなく、読む者に作者自身であるかのやうな概念を与へるのみか、作家自身の態度が
野口雨情
小川芋銭先生と私 野口雨情 小川芋銭先生は、もとは牛里と云ふ雅号で、子規居士時代から俳句を詠んで居られた。牛里とは常陸牛久沼の里の地名から付けた雅号であらうと思はれる。私が、芋銭先生を知つたのは画家としてよりは、俳人として知つて居たので、芋銭先生が画を描くとは知らなかつた。「あの人が画を描くのか」と思つた位ゐであつた。 芋銭先生を初めて知つたのは恰度取手の在
北大路魯山人
干ものの美味いのに当ったよろこびは格別である。ことに中干しとか、生乾しとか言った類いの最上物に当るうれしさは、筆に尽しがたい。東京近くで言うと、熱海の干ものがなかなか評判だ。もともと熱海の漁場に揚がるあじ・いか・かれい・あまだいなど、さかなの種類も相当のものだが、干上がりの条件として、もってこいの浜風と気温に恵まれている点が、味をよくする最大原因となっている
小川未明
ある日、小さな年ちゃんは、お母さんのいいつけで、お使いにいきました。 「ころばないようにして、いらっしゃい。」と、お母さんは、おっしゃいました。 年ちゃんは、片手に財布を握り、片手にふろしきを持って、兄さんのげたをはいて、引きずるようにしてゆきました。 お豆腐屋の前に、大きな赤犬がいました。年ちゃんは、その前を通るのが、なんだかこわかったのです。けれど、赤犬
原民喜
暗い雨のふきつのる、あれはてた庭であつた。わたしは妻が死んだのを知つておどろき泣いてゐた。泣きさけぶ声で目がさめると、妻はかたはらにねむつてゐた。 ……その夢から十日あまりして、ほんとに妻は死んでしまつた。庭にふりつのるまつくらの雨がいまはもう夢ではないのだ。
小川未明
良ちゃんは、お姉さんの持っている、銀のシャープ=ペンシルがほしくてならなかったのです。けれど、いくらねだっても、お姉さんは、 「どうして、こればかしは、あげられますものか。」と、いわぬばかりな顔つきをして、うんとはおっしゃらなかったのでした。 お姉さんは、良ちゃんをかわいがっていました。英ちゃんや、義雄さんよりも、かわいがっていました。それは、良ちゃんはまだ
太宰治
イエスが十字架につけられて、そのとき脱ぎ捨て給いし真白な下着は、上から下まで縫い目なしの全部その形のままに織った実にめずらしい衣だったので、兵卒どもはその品の高尚典雅に嘆息をもらしたと聖書に録されてあったけれども、 妻よ、 イエスならぬ市井のただの弱虫が、毎日こうして苦しんで、そうして、もしも死なねばならぬ時が来たならば、縫い目なしの下着は望まぬ、せめてキャ
富田木歩
小さな旅 富田木歩 五月六日 今宵は向嶋の姉に招かれて泊りがてら遊びに行くのである。 おさえ切れぬ嬉しさにそゝられて、日毎見馴れている玻璃窓外の躑躅でさえ、此の記念すべき日の喜びを句に纒めよと暗示するかのように見える。 母は良さんを連れて来た、良さんと云うのは此の旅を果させて呉れる――私にとっては汽車汽船よりも大切な車夫である。 俥は曳き出された。足でつッぱ
国木田独歩
十一月某日、自分は朝から書斎にこもって書見をしていた。その書はウォーズウォルス詩集である、この詩集一冊は自分に取りて容易ならぬ関係があるので。これを手に入れたはすでに八年前のこと、忘れもせぬ九月二十一日の夜であった。ああ八年の歳月! 憶えば夢のようである。 ことにこの一、二年はこの詩集すら、わずかに二、三十巻しかないわが蔵書中にあってもはなはだしく冷遇せられ
宮本百合子
その街は、昼間歩いて見るとまるで別な処のように感じられた。 四方から集って来た八本の架空線が、空の下で網めになって揺れている下では、ゲートルをまきつけた巡査が、短い影を足許に落し、鋭く呼子をふき鳴しながら、頻繁な交通を整理している。 のろく、次第にうなりを立てて速く走って行く電車や、キラキラニッケル鍍金の車輪を閃かせ、後から後からと続く自転車の列。低い黒い背
橋本五郎
小曲 橋本五郎 ひどい暴風雨だった。ゴーッと一風くると、まるで天井を吹き飛ばされそうな気持がする。束になった雨つぶが、窓硝子へ重い肉塊のように打つかって来て、打つかっては滝をなして流れるのである。そのひと揺れごとに電燈が消えた。時おり電車のひびきが聞えて来るが、それもその度に椿事があっての非常警笛のように思いなされた。何かはためいて、窓の外は底も知れず暗い。
漢那浪笛
よする年波とゞめかねず、 われや落葉あわれ淋し。 名知れぬ浜に流れ漂ひ、 朽つるその日あやめわかぬ。 白く冷たき浪のたわれ、 目的知らねば運命のまゝに、 浮きつ沈みつ夜を日にかへし、 息む隙なき道のつかれ。 暗らき浮き世をたどる心、 なほもなごめる恋し草びら、 岸に匂へる色を見れば、 すてゝ立ち去る思ひたえじ。
萩原朔太郎
× ほほづきよ ひとつ思ひに泣けよかし 女のくちにふくまれて 男ごころのさびしさを さも忍び音に泣けよかし × ほんのふとした一言から 人が憎うてならぬぞえ ほんのその日の出來ごころ つい張りつめた男氣が しんぞ可愛ゆてならぬぞえ ●図書カード
萩原朔太郎
× 千鳥あし やつこらさと來て見れば にくい伯母御にしめ出され 泣くに泣かれずちんちろり 柳の下でひとくさり × 隣きんじよのお根ん性に 打たれ抓められくすぐられ じつと涙をかみしめる 青い毛糸の指ざはり ●図書カード
木村荘八
これはしかつめらしい小杉論でもなければ、小杉伝でもない。筆を執ると渋滞することなく手繰れたぼくの「小杉感想」である。ぼくは小杉さんについて矢張り余人よりは知ることが多いやうである。第一平素の交渉なり関心が深い。しかし小杉さんと最も古い頃からの知り合ひかといふと? ぼくが小杉さんに辱知得たのは、所詮春陽会以来、ギリギリ四半世紀の昨今に止どまるから――これはかう
原民喜
小さな村 原民喜 夕暮 青田の上の広い空が次第に光を喪つてゐた。村の入口らしいところで道は三つに岐れ、水の音がしてゐるやうであつた。私たちを乗せた荷馬車は軒とすれすれに一すぢの路へ這入つて行つた。アイスキヤンデーの看板が目についた。溝を走るたつぷりした水があつた。家並は杜切れてはまた続いていつた。国民学校の門が見え、それから村役場の小さな建物があつた。田のな
宮本百合子
小村淡彩 小村淡彩 宮本百合子 お柳はひどく酔払った。そして、 「誰がこんなところにいるもんか、しと! ここにいりゃあこそ小松屋の女中だ、ありゃあ小松屋の女中だとさげすまれる。鎌倉へ帰りゃあ、憚りながら一戸の主だ。立派な旦那方だって、挨拶の一つもしてくれまさあ」 と啖呵(たんか)を切って、暇をとってしまった。喧嘩相手であったせきは、煮え切らない様子であとに残
宮本百合子
小林多喜二の今日における意義 宮本百合子 小林多喜二全集第一回配本を手にしたすべての人々が、まず感じたことは何だったろう。これで、いよいよ小林多喜二の全集も出はじめた。そのことにつよい感動があった。つづいて、小林多喜二全集の編輯は、実に周密、良心的に努力されていて、ただうりものとして現在刊行されている各種の全集類とは、まるで趣をことにした実質をもっていること
中野鈴子
小林多喜二のお母さん あなたの長男である多喜二さんが死なれてから 十九年の日が流れています そして あなたは八十才になられました この十九年の年月は お母さんにとって どのようなものでありましたでしょう 戦争が敗けて 日本共産党の人たちが赤い旗をかかげて 刑務所から出てきた時 あなたの喜びとかなしみはどんなでありましたでしょう その人たちが子供も育っている家
中原中也
機敏な晩熟児といふべき此の男が、現に存するのだから僕は機敏な晩熟児が如何にして存るかその様を語らうと思ふ。 この男は意識的なのです。そして意識はどつちみち人を悲しませるものです。然るにその悲しみ方に色々ある。そしてこの男について言つてみれば、この男はその悲しむ段となつてはまるで無意識家と同しなのです。それは私にこの男の意志が間断しないことを知らせます。 けれ
牧野信一
この手紙を書くべく考へはぢめて、もう十日あまりも経つのであるが、手紙といふても稍かたちの違ふものであるから、起きあがつてからと思つてゐるうちに、中々風邪が治らず、もう間に合ひさうもなくなつたから、寝たまゝ弁解風のことを書く。 この間、風邪をひいて寝たはぢめに、いつかの君の小篇小説「からくり」を読み直して、仲々面白かつた。これに就いての、愉快な読後感を書きおく
中谷宇吉郎
先年、小林秀雄と、清荒神へ鉄斎の絵を見に行ったことがある。そのときは、一日中かかって、奥の広い座敷で、百幅近い鉄斎を見た。 天気のよい日で、白い障子が明るく、室内は森閑としていた。この部屋は、鴨居にたくさん折釘がついていて、十幅くらいの掛物が、ずらりと掛けられるようになっていた。 次の間に、軸箱がたくさん積み上げてあって、小僧さんが、大事そうにそれをもって来
坂口安吾
小林さんと私のツキアイ 坂口安吾 小林さんにはじめて会ったのは、青山二郎の私宅であった。そうだなア。あれは、私の二十六の時らしいな。すると、昭和六年、頃は夏だ。なぜなら、青山二郎がサルマタ一ツの姿だったから。 私が「青い馬」という同人雑誌に「風博士」というのを書いて牧野信一に文藝春秋誌上で大そうなおほめの言葉をうけた。それが縁で文藝春秋に作品を書くことになっ
今野大力
小樽から来た小林が 殺されたんだと 親に教えた俺だった やられたか やりやがったか 一日も二日も三日もねむられぬ 憎っくい下手人 ××の手先 小林が元気な頃は 又逢えるつもりでいたのに 殺されて 二度と逢いない 二度と逢いない 小林をとらえた刑事 抜けがけをやろうとしたか 全身の皮下溢血が無残な姿 犬や猫や豚を 殴って殺しても こんなに無惨に 殺せるものか