Vol. 2May 2026

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パブリックドメイン世界知識ライブラリ

全 14,981 冊中 6,960 冊を表示

少年に文化を嗣ぐこゝろを

中井正一

少年に文化を嗣ぐこゝろを 中井正一 大塚金之助博士に或雜誌記者が、博士の一生に最も感銘深かった記憶は何でございますかとたずねた。 博士は次の樣に答えられたそうである。 博士の少年の頃、圖書館へ行って、本を要求したとき、館員が、部厚い本を持ち出して來て、未だ少年の博士に、その本を差出したそうである。 そのずっしり重い本を受取ったときの深い感激は、今、尚博士の胸

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少年文学私見

豊島与志雄

少年文学私見 豊島与志雄 現今の少年は、非常に明るい眼をもっている、空想は空想として働かしながらも、事実のあるがままの姿を、大袈裟に云えば現実を、じっと眺めそして見て取るだけの視力をもっている。これは、実証主義的精神の、また唯物論的精神の、遺産を得ているからであろうか。更になお、科学的教育を受けているからでもあろうか。とにかく彼等の眼は、架空なものを許容する

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少年の日二景

小川未明

池の中には、黄色なすいれんが咲いていました。金魚の赤い姿が、水の上に浮いたりまるい葉蔭に隠れたりしていました。そして、池のあたりには、しだが茂り、ところどころ石などが置いてありました。 勇ちゃんは、いかにも金魚たちが楽しそうに遊んでいるのをぼんやりながめていました。そのとき、やぶの方から垣根をくぐって、黒い一筋の糸のように、なにか走ってきたので、その方を見る

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少年の日の悲哀

小川未明

三郎はどこからか、一ぴきのかわいらしい小犬をもらってきました。そして、その小犬をかわいがっていました。彼はそれにボンという名をつけて、ボン、ボンと呼びました。 ボンは人馴れたやさしい犬で、主人の三郎にはもとよりよくなつきましたが、まただれでも呼ぶ人があれば、その人になついたのです。だから、みんなにかわいがられていました。三郎は朝早く起きてボンを連れて、空気の

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少年・春

竹久夢二

少年・春 竹久夢二 1 「い」とあなたがいうと 「それから」と母様は仰言った。 「ろ」 「それから」 「は」 あなたは母様の膝に抱っこされて居た。そとでは凩が恐しく吼え狂うので、地上のありとあらゆる草も木も悲しげに泣き叫んでいる。 その時あなたは慄えながら、母様の頸へしっかりとしがみつくのでした。 凩が凄じく吼え狂うと、洋燈の光が明るくなって、卓の上の林檎は

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少年時代

幸田露伴

少年時代 幸田露伴 私は慶応三年七月、父は二十七歳、母は二十五歳の時に神田の新屋敷というところに生まれたそうです。其頃は家もまだ盛んに暮して居た時分で、畳数の七十余畳もあったそうです。併し世の中が変ろうというところへ生れあわせたので、生れた翌年は上野の戦争がある、危い中を母に負われて浅草の所有地へ立退いたというような騒ぎだったそうです。大層弱い生れつきであっ

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ある少年の正月の日記

小川未明

一月一日 学校から帰ると、お父さんが、「今年から、おまえが、年始におまわりなさい。」といって、お父さんの名刺を四枚お渡しなさった。そうだ、僕は、十二になったのだ。十二になると、お父さんのお代わりをするのか、知らないけれど、急に、自分でも大人になったような気がする。お母さんから、あいさつのしかたをならって、まずお隣からはじめることにして、出かけた。 一月二日

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少年の死

木下杢太郎

少年の死 木下杢太郎 八月の曇つた日である。一方に海があつて、それに鉤手に一連の山があり、そしてその間が平地として、汽車に依つて遠國の蒼渺たる平原と聯絡するやうな、或るやや大きな町の空をば、この日例になく鈍い緑色の空氣が被つてゐる。 大きな河が海に入る處では盛んな怒號が起つた。末廣がりになつた河口までは大河は全く平滑で、殆ど動とか力とかいふ感じを與へない、鼠

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少年の死

豊島与志雄

少年の死 豊島与志雄 十一月のはじめ夜遅く馬喰町の附近で、電車に触れて惨死した少年があった。それが小石川白山に住む大工金次郎のうちの小僧庄吉だと分ったのは、事変の二日後であった。惨死はこの少年の手ではどうすることも出来ない運命の働きであったらしい。 庄吉は巣鴨の町外れの小百姓の家に生れて育った。三つの時に母を失い、九つで父に死なれたので、彼はその時から父の遠

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少年と海

加能作次郎

少年と海 加能作次郎 一 「お父、また白山が見える!」 外から帰って来た為吉は、縁側に網をすいている父親の姿を見るや否や、まだ立ち止らない中にこう言いました。この為吉の言葉に何の意味があるとも思わない父親は、 「そうかい。」と一寸為吉の方を見ただけで、 「どこに遊んでおった?」と手を休めもせずに言いました。 「浜に、沖見ていたの。」と為吉は縁側に腰掛け、「白

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少年と秋の日

小川未明

もう、ひやひやと、身にしむ秋の風が吹いていました。原っぱの草は、ところどころ色づいて、昼間から虫の鳴き声がきかれたのです。 正吉くんは、さっきから、なくしたボールをさがしているのでした。 「不思議だな、ここらへころがってきたんだけど。」 どうしたのか、そのボールは見つかりませんでした。お隣の勇ちゃんは、用事ができて帰ってしまったけれど、彼だけは、まだ、思いき

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『少年科学探偵』序

小酒井不木

本書に収めた六編の探偵小説は、雑誌『子供の科学』に連載されたもので、尋常五六年生から中学二三年生までくらいの少年諸君の読み物として書いたのであります。 現代は科学の世の中でありまして、科学知識がなくては、人は一日もたのしく暮らすことができません。しかし、科学知識を得るには、何よりもまず科学の面白さを知らねばならぬのでありまして、その科学の面白さを知ってもらう

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少年の食物

木村荘八

少年の食物 木村荘八 私は初めて絵を見たのは何が最初か、一寸おぼえていません。多分好んで見たのはポンチ絵だったろうと思います。窓から乞食が麦わらで室内の人の飲みものを飲む絵だとか、団十郎が尻に帆をかけて大阪へ行く? 絵などおぼえています。先是、私の家の二階の広間には大きな墨絵の龍を描いた額(三間幅位のもの)がありましたが、好きではありませんでした。私の室には

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少数と多数

ゴールドマンエマ

私は現代の傾向を要約して「量」であると云ひたい。群衆と群集精神とは随所にはびこつて「質」を破壊しつつある。今や私どもの全生活――生産、政治、教育――は全く数と量との上に置かれてゐる。且て自己の作品の完全と質とにプライドを持つてゐた労働者は自己に対しては無価値に一般人類にとつては有害な多額の物品を徒らに産出する無能の自働機械に変つてしまつた。かくして「量」は人

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尖端人は語る

堀辰雄

私は書かうと思つてもどうしても書けないやうな時がある。 さういふとき私はへとへとに疲れ、そして書くことは何と馬鹿馬鹿しいことだらうなどと考へながら、私は公園へ散歩に出かけてしまふのである。すると公園の中で、私は子供たちが長いモチ竿をもつて蜻蛉を追ひかけてゐるのを見る。私には彼等の姿が羨しくてならない。もし出來たら、私も書くのなんか廢めてしまつて、彼等の仲間入

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尚書稽疑

内藤湖南

尚書稽疑 内藤湖南 所謂先秦の古書は其の最初編成されてより以後、或は増竄を生じ、或は錯脱を生じ、今日現存せる篇帙が最初のものと異つて來てゐることは、何れの書にも通有の事實であつて、幾んど原形のまゝの者はないと謂ふも過言ではあるまいと思ふ。但だ其中で兩漢六朝以後に竄亂されたものは明かに之を僞書として鑑別することになつてゐるが、其以前に竄亂されたものは大抵之を看

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『尚書』の高等批評 特に堯舜禹に就いて

白鳥庫吉

東洋協會講演會に於いて、堯舜禹の實在的人物に非ざるべき卑見を述べてより已に三年、しかもこの大膽なる臆説は多くの儒家よりは一笑に附せられしが、林〔泰輔〕氏の篤學眞摯なる、前に『東洋哲學』に( 余は近時林氏の注意によりて之を知れるなり)、近く『東亞研究』に、高説を披瀝して教示せらるゝ所ありき。 茲に今林氏の好意に酬い、且その後の研究を述べて、儒家諸賢の批判を請は

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尚白箚記

西周

凡そ百科の學術に於ては、統一の觀有る事緊要たる可し。學術上に於て統一の觀立ては、人間の事業も緒に就き、社會の秩序も自ら定まるに至るべし。誠に人間各自の事業も緒に就きて、社會の秩序も定まり、苟も紊亂する事無れば、其結果は即康寧なる可し。是に努力(勉勵)の一元を加ふれば、其結果は家國天下の富強ぞかし。此康寧と富強との二元流行して、所謂生を養ひ死を喪し、人皆熈々と

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クロムランクとベルナアルに就いて

岸田国士

欧洲大戦後、即ち千九百二十年から二十三年にかけて、仏蘭西の劇壇は空前の開花期を現出し、その間に、有為な新作家が相次いで「問題になる作品」を発表した。 クロムランクの「堂々たるコキュ」と、ジャン・ジャック・ベルナアルの「マルチイヌ」とは、サルマンの「幻の魚」などと共に、当時の批評壇を賑はしたものである。 ところが、今日、これを読み返してみると、「堂々たるコキュ

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ヒューメーンということに就て

豊島与志雄

ヒューメーンということに就て 豊島与志雄 芸術上の作品は、一方に於ては作者に即したものであり、他方に於てはそれ自身独立したものである。この二つの見解は作品を眺むる眼の据え場所の相違から自然に出て来る。そして前者の見地よりすれば、「作品凡庸可なりの論」をも私は認むるが、後者の見地よりすれば、「作品凡庸主義の論」に私は賛成しない。作品をそれ自身独立したものとして

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ドストイェフスキーに就いて

片上伸

どんな人間でもその性格に皆多少の矛盾を有つてゐる。そしてその矛盾のために多少とも苦しみ惱んでゐる。そしてその矛盾の苦しみの烈しければ烈しいほどその求めてゐる統一に達することの困難であるのは勿論だが、同時にその大いなる矛盾は大いなる統一を豫想するものであるといへる。人の一生の幸不幸は、性格の矛盾の大小によつてきまるわけではなくてその矛盾がどれだけ統一せられつつ

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「トンネル」に就いて

成瀬無極

曾て日本に遊んで『日本散策』(本全集の『日本印象記』)『さつさ、よやさ』などを書いたベルンハルト・ケッラアマンは、一八七九年の生れだから、日本流に云つて今年五十二歳になる筈だ。トウマス・マンとヤアコブ・ワッサァマンに次ぐ現代獨逸小説界の巨星である。一九〇六年作の『インゲボルグ』は抒情味の勝つたものであつたが、同九年の『白痴』以後は寫實的心理描寫を試みてゐる。

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就職

林芙美子

就職 林芙美子 何をそんなに腹をたててゐるのかわからなかつた。埼子は松の根方に腰をかけて、そこいらにある小石をひろつては、海の方へ、男の子のやうな手つきで、「えゝいツ」と云つては投げつけてゐた。石は二三間位しか飛ばないで、その邊の砂地の上へ濕つた音をたてておちてゐる。 冬の濱邊は、時々遠くの方から、ごおつごおつと風を卷きたててゐた。空には雲の影もないのに薄陽

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ニイチェに就いての雑感

萩原朔太郎

ニイチェに就いての雑感 萩原朔太郎 ニイチェの世界の中には、近代インテリのあらゆる苦悩が包括されてゐる。だれでも、自分の悩みをニイチェの中に見出さない者はなく、ニイチェの中に、自己の一部を見出さないものはない。ニイチェこそは、実に近代の苦悩を一人で背負つた受難者であり、我々の時代の痛ましい殉教者であつた。その意味に於て、ニイチェは正しく新時代のキリストである

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