Vol. 2May 2026

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パブリックドメイン世界知識ライブラリ

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山峡新春

宮本百合子

山峡新春 宮本百合子 夜中の一時過、カラカラ、コロコロ吊橋を渡って行く吾妻下駄の音がした。これから女中達が髪結に出かけるのだと見える。 私共は火鉢を囲み、どてらを羽織って餅を焼きながらそれを聴いた。若々しい人声と下駄の音が次第に遠のき、やがて消えると、後に川瀬の響が高く冴えた。吊橋にこんもりかぶさって密生している椎の梢の上に黒い深夜の空があり、黒が温泉場らし

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山峡の村にて

牧野信一

その村は、東京から三時間もかゝらぬ遠さであり、私が長い間住なれたところであつたが私は最早まる一年も帰らなかつた。恰度、一年前の今ごろ私はカバンを一つぶらさげて芝居見物に上京したまゝ――。 それ故、またカバンを一つぶらさげて戻つて来た私達の姿を見出したロータスといふ村の酒場の娘は、 「まあ、随分永い芝居見物でしたわね。」 とうらみと苦笑をふくんだ鼻声で、私の妻

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山さち川さち

沖野岩三郎

山さち川さち 沖野岩三郎 一 昔、紀州の山奥に、与兵衛といふ正直な猟夫がありました。或日の事いつものやうに鉄砲肩げて山を奥へ奥へと入つて行きましたがどうしたものか、其日に限つて兎一疋にも出会ひませんでした。で、仕様事なしに山の頂から、ズツと東の方を眺めて居ますと、遙か向ふから蜒々とした細い川を筏の流れて来るのが見えました。 「あの筏が丁度この山の麓まで流れて

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山へ帰ったやまがら

小川未明

英ちゃんの飼っているやまがらは、それは、よく馴れて、かごから出ると指先にとまったり、頭の上にとまったり、また、耳にとまったりするので、みんなからかわいがられていました。 はじめのうちは、外へ飛び出すと、もうかごへはもどってこないものと思って、障子を閉めて、へやの中で遊ばしたものです。しかし、長いうちにいつしかここが、自分のすみかと思ってしまったので、すこしば

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山へ帰りゆく父

小川未明

父親は、遠い街に住んでいる息子が、どんな暮らしをしているかと思いました。そして、どうか一度いってみたいものだと思っていました。 しかし、年を取ると、なかなか知らぬところへ出かけるのはおっくうなものです。そして、自分の長らく住んでいたところがいちばんいいのであります。 「私は、こんなに年をとったのに、せがれはどんな暮らしをしているか心配でならない。今年こそはい

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山庵雑記

北村透谷

山庵雑記 北村透谷 其一 夢見まほしやと思ふ時、あやにくに夢の無き事あり、夢なかれと思ふ時、うとましき夢のもつれ入ることあり。寤むる時、亦た斯の如し、意はざらんと思ふに意ひ、意はんと思ふに意はず。左りとて意の如くならぬをば意の如くせまじと思ふにもあらず、静に傾き尽きなんとする月を見れば、よろづ意の儘にならぬものぞなき、徐ろに咲き出らん花を待つに、よろづ心に任

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山形屋の青春

岸田国士

山形屋の若主人宇部東吉は東京へ商品の買ひ出しに出たきり、もう二週間も帰つて来ない。そのうへ、消息がふつつり絶えたきりになつてゐる。こんなことは今までに例のないことだから、留守居の細君みよ子はもう眼を泣きはらし、父親の紋七はコタツの中でぷりぷり言ひ、近所近辺はその噂でもちきりであつた。 上州三原からバスで鳥居峠を越える県道が、最近の大水で流されたあとへやつとか

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山彦の街

牧野信一

哄笑の声が一勢に挙つたかと思ふと、罵り合ひが始まつてゐる――鳥のやうな声で絶叫する者がある、女の悲鳴が耳をつんざくばかりに聞えたかと思ふと、男の楽し気な合唱が始まつてゐる――殴れ! とか、つまみ出してしまへ! とか、そんな凄まじい声がして、 「あゝ、痛いツ!」 「御免だ……」 「救けて呉れ!」 そんな悲鳴が挙つたりするので、これは容易ならぬ事件が起つたのか!

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山の怪

田中貢太郎

山の怪 田中貢太郎 土佐長岡郡の奥に本山と云う処がある。今は町制を布いて町と云うことになっているが、昔は本山郷と云って一地方をなしていた。四国三郎の吉野川が村の中を流れて、村落のあるのはそれに沿った僅かばかりの平地で、高峰駿岳が一面に聳えていた。 その本山に吉延と云う谷があって、其処には猪とか鹿とか大きな獣がいるので、山猟師をやっている者で其処へ眼をつけない

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山を想ふ

水上滝太郎

山を想ふ 水上瀧太郎 富士の嶺はをみなも登り水無月の氷のなかに尿垂るとふ 與謝野寛氏の歌だ。近頃の山登の流行は素晴しい。斷髮洋裝で舞踏場に出入し、西洋人に身を任せる事を競ふ女と共に、新興國の産物である。一國の文化に古びがついて來ると、人々は無闇に流行を追はなくなるが、國を擧げてモダアンといふ言葉に不當の値打をつけてゐる心根のはびこる限り、生理的に山などへ登つ

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山想う心

松濤明

山想う心 松濤明 星の鈍くまたたく夜、麦田の上を身を切るような風が渡る。外套の襟を深く立てて東京へ行く一番列車に乗るべく急ぐ田舎道は、霜柱が夜目にも白く、ざくりざくりと足の下に砕ける音を聞いていると、そぞろ山が思い出されてくる。こんな夜の山の寒さはまた格別であろう。それを思えば家にいて温かいこたつに当っている方が数等楽な理であるが、行けないとなると山想う心は

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山の手の子

水上滝太郎

山の手の子 水上滝太郎 お屋敷の子と生まれた悲哀を、しみじみと知り初めたのはいつからであったろう。 一日一日と限りなき喜悦に満ちた世界に近づいて行くのだと、未来を待った少年の若々しい心も、時の進行につれていつかしら、何気なく過ぎて来た帰らぬ昨日に、身も魂も投げ出して追憶の甘き愁いに耽りたいというはかない慰藉を弄ぶようになってから、私は私にいつもこう尋ねるので

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山の手歳事記

正岡容

猿飴の猿に湯島の時雨かな綺堂 古風な彩色を施し市井芸術としての匂ひいと高い昔ながらの木づくりの猿の看板をかかげて本郷湯島の猿飴は、昭和十八年の末ちかくまで本郷三丁目から湯島天神祠へ至る南側の電車通りに、辛くも伝来の営業をつゞけてゐたが已にその舗のたゞずまひは安価低調なバラック同様の和洋折衷館となつてゐて、伝統猿飴の美しき陰影をつたへる何物とても最早なかつた。

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山日記その一

堀辰雄

九月三日 ゆうべ二時頃、杉皮ばかりの天井裏で、何かごそごそと物音がするので、思はず目を覺ました。ちやうど僕の頭の眞上のへん。鼠だらう位に思つて、やがてもう音がしなくなつたので、又すぐ寢てしまつた。 朝、起きぬけにけふこそ一つ仕事をしてやらうと思つて、霧の中をすこし散歩をして歸つてくると、僕を迎へる女房たちの樣子がちよつとばかり變なので、どうかしたのかと訊いて

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山日記その二

堀辰雄

十月九日 こちらはもう秋が深い。冬までゐられさうなことを言つてゐた川端さんも、これからずつと木曾をまはつて鎌倉へ歸ると、さきをとつひお別れに來られたが、たぶんけふあたりはその木曾を旅してゐられることだらう。僕達はいまやりかけてゐる「續かげろふの日記」の仕上がるまでは頑張つてゐるつもりだが、さあ、いつ出來上がることか知らん? 實はその仕事もいよいよこれからとい

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山の春

高村光太郎

山の春 高村光太郎 ほんとうは、三月にはまだ山の春は来ない。三月春分の日というのに、山の小屋のまわりには雪がいっぱいある。雪がほんとに消えるのは五月の中ほどである。つまり、それまで山々にかぶさっていた、氷のように冷たい空気が、五月頃になると、急に北の方へおし流されて、もう十分あたたかくなっている地面の中の熱と、日の光とが、にわかに働きだして、一日一刻も惜しい

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山月記

中島敦

山月記 中島敦 隴西の李徴は博學才穎、天寶の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃む所頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかつた。いくばくもなく官を退いた後は、故山、略に歸臥し、人と交を絶つて、ひたすら詩作に耽つた。下吏となつて長く膝を俗惡な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺さうとしたのである。しかし、文

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翻訳済み対訳

山本有三氏作「真実一路」について

岸田国士

山本有三氏作「真実一路」について 岸田國士 婦人雑誌にかういふ本格的な小説が掲載されたことはまさに類例がないのみならず、さういふ小説が、編輯者の期待以上、読者の反響を呼んだといふこともまた、実に画期的であつたといはれてゐる。 なるほど、山本有三氏の作品は、単に良心をもつて書かれ、熱情と信念をもつて世に訴へんとするところを訴へてゐるばかりではない。主題は平明で

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山と村

木暮理太郎

アーヴィングの『スケッチブック』を初めて読んだとき、リップ・ヴァン・ウィンクルの話の冒頭に、カツキル連山が季節の移り更りや天候の変る毎に、いや実に一日の中でも刻々に不思議な色やら形やらを変えるので、遠近のおかみさん達から完全な晴雨計と見做されていたということが書いてあるのを見て、直に思い出したのは故郷の赤城山のことであった、そして外国にも同じような風習が自然

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山椒

北大路魯山人

この刺激食品は香味と辛味がすばらしい特色を持っているところから、成年以上の大人になると、たいがいはこれを好み、日常食膳に喜ばれていることはご承知の通りだ。実さんしょうの佃煮(から煮)はよく知られているが、実さんしょうも味噌漬けとなると、あまり知られていないのではないだろうか。この点が珍しいところだ。 丹波の朝倉山椒というのは、古くから有名で献上品、あるいは大

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山椒魚

北大路魯山人

ひとつ変ったたべものの話をしよう。 長い間には、ずいぶんいろいろなものを食ったが、いわゆる悪食の中には、そう美味いものはない。 「変ったたべものの中で美味いものは?」 と問われるなら、さしずめ山椒魚と答えておこう。 山椒魚を食うのは、決して悪食ではないが、ご承知のように山椒魚は、保護動物として捕獲を禁止されている上に、どこにもいるというものでないから、滅多に

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山椒魚

岡本綺堂

K君は語る。 早いもので、あの時からもう二十年になる。僕がまだ学生時代で、夏休みの時に木曾の方へ旅行したことがある。八月の初めで、第一日は諏訪に泊まって、あくる日は塩尻から歩き出した。中央線は無論に開通していない時分だから、つめ襟の夏服に脚絆、草鞋、鍔の広い麦藁帽をかぶって、肩に雑嚢をかけて、木の枝を折ったステッキを持って、むかしの木曾街道をぶらぶらとたどっ

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山の歓喜

河井酔茗

あらゆる山が歓んでゐる あらゆる山が語つてゐる あらゆる山が足ぶみして舞ふ、躍る あちらむく山と こちらむく山と 合つたり 離れたり 出てくる山と かくれる山と 低くなり 高くなり 家族のやうに親しい山と 他人のやうに疎い山と 遠くなり 近くなり あらゆる山が 山の日に歓喜し 山の愛にうなづき 今や 生のかがやきは 空いつぱいにひろがつてゐる ●図書カード

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山の湯の旅 ――発甫温泉のおもいで――

上村松園

○ 信州に発甫という珍らしい地名の温泉地があります。絵を描く人々や、文士などの間には相当知られているようですが、一般にはまだ知れ渡ってはいないようです。それというのも、一つは土地が草深く里離れがしていて、辺鄙なために少々淋しすぎるのと、もう一つは交通の便もあまりよくはないことと、それから温泉地としてみましても、新規な設備なども整っていないことが、しぜん都会人

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