庶民生活
豊島与志雄
庶民生活 豊島与志雄 自動車やトラックやいろいろな事輌が通る広い坂道があった。可なり急な坂で、車の滑りを防ぐためにでこぼこの鋪装がしてあった。自転車の達者な者は、一気に走り降りることも出来たが、昇りはみな徒歩で自転車を押し上げた。 その坂道を昇りきったところ、逆に言えば降り口に、小さな中華ソバ屋があった。その辺一帯は戦災地域で、焼け残りの家と、新たに建てた家
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豊島与志雄
庶民生活 豊島与志雄 自動車やトラックやいろいろな事輌が通る広い坂道があった。可なり急な坂で、車の滑りを防ぐためにでこぼこの鋪装がしてあった。自転車の達者な者は、一気に走り降りることも出来たが、昇りはみな徒歩で自転車を押し上げた。 その坂道を昇りきったところ、逆に言えば降り口に、小さな中華ソバ屋があった。その辺一帯は戦災地域で、焼け残りの家と、新たに建てた家
小泉信三
魚をじかに火で炙るということは、ほかの国ではしないことなのか。西洋を旅行して、裏町を歩いても、魚を焼く匂いをかいだ記憶はないように思う。青煙散ジテ入ル五侯ノ家、という唐詩の句は、別のことを詠じたものであるが、とにかく、脂ののった魚を焼く煙が、民家の軒をくぐって青く夕暮の空に上るという景色は、日本独特のもので、われわれに強く国土と季節を感ぜしめる。 魚を焼くと
原民喜
廃墟から 原民喜 八幡村へ移った当初、私はまだ元気で、負傷者を車に乗せて病院へ連れて行ったり、配給ものを受取りに出歩いたり、廿日市町の長兄と連絡をとったりしていた。そこは農家の離れを次兄が借りたのだったが、私と妹とは避難先からつい皆と一緒に転がり込んだ形であった。牛小屋の蠅は遠慮なく部屋中に群れて来た。小さな姪の首の火傷に蠅は吸着いたまま動かない。姪は箸を投
原民喜
廃墟から 原民喜 八幡村へ移つた当初、私はまだ元気で、負傷者を車に乗せて病院へ連れて行つたり、配給ものを受取りに出歩いたり、廿日市町の長兄と連絡をとつたりしてゐた。そこは農家の離れを次兄が借りたのだつたが、私と妹とは避難先からつい皆と一緒に転がり込んだ形であつた。牛小屋の蠅は遠慮なく部屋中に群れて来た。小さな姪の首の火傷に蠅は吸着いたまま動かない。姪は箸を投
折口信夫
うらゝかな春の入日、ちり/″\に地面も空もまつ白に、過ぎ行く花の幻影――その中に、かつきりと立つた延若の五右衛門――。私はその頭・背から輝き出る毫光を感じました。「国くづし」の立敵の表現は、歌舞妓の世界に、此が見をさめになつて行く。さう言ふ悲痛な信仰に似たものに、心が潤うて来るのをおさへることが出来ませんでした。 ●図書カード
津田左右吉
今、世間で要求せられていることは、これまでの歴史がまちがっているから、それを改めて真の歴史を書かねばならぬ、というのであるが、こういう場合、歴史がまちがっているということには二つの意義があるらしい。 一つは、これまで歴史的事実を記述したものと考えられていた古書が実はそうでない、ということであって、例えば『古事記』や『日本紀』は上代の歴史的事実を記述したもので
宮本百合子
「建設の明暗」の印象 宮本百合子 新築地の「建設の明暗」はきっと誰にとっても終りまですらりと観られた芝居であったろうと思う。 廃れてゆく南部鉄瓶工の名人肌の親方新耕堂久作が、古風な職人気質の愛着と意地とをこれまで自分の命をうちこんで来た鉄瓶作りに傾けて、鉄の配給統制で材料もなくなり日々の生活に窮しつつ猶組合の工場へ入って一人の労働者として働くことを肯じがたい
宮沢賢治
廿日月かざす刃は音無しの 黒業ひろごるそらのひま その竜之介 風もなき修羅のさかひを行き惑ひ すゝきすがるゝいのじ原 その雲のいろ 日は沈み鳥はねぐらにかへれども ひとはかへらぬ修羅の旅 その竜之介 ●図書カード
倉田百三
あはれなる廿日鼠 あはれなる廿日鼠 倉田百三 お手紙を有難う御座いました。この頃は春らしくなりお天気つづきで東京もたのしさうになつたことでしょう。私は今朝本当に久しぶりに二分間程干棚に出て街の上にかかる青空と遠い山脈の断片とを偸み見ましたが、もう春が地上に完全に支配してゐるのを見て驚いた程でした。あなたはミルトンについての論文で忙しいのですね。やはり身を入れ
寺田寅彦
マーカス・ショーとレビュー式教育 寺田寅彦 アメリカのレビュー団マーカス・ショーが日本劇場で開演して満都の人気を収集しているようであった。日曜日の開演時刻にこの劇場の前を通って見ると大変な人の群が場前の鋪道を埋めて車道まではみ出している。これだけの人数が一人一人これから切符を買って這入るのでは、全部が入場するまでに一体どのくらい時間が掛かるかちょっと見当がつ
国枝史郎
弓道中祖伝 国枝史郎 1 「宿をお求めではござらぬかな、もし宿をお求めなら、よい宿をお世話いたしましょう」 こう云って声をかけたのは、六十歳ぐらいの老人で、眼の鋭い唇の薄い、頬のこけた顔を持っていた。それでいて不思議に品位があった。 「さよう宿を求めて居ります。よい宿がござらばお世話下され」 こう云って足を止めたのは、三十二三の若い武士で、旅装いに身をかため
中谷宇吉郎
弓と鉄砲との戦争では鉄砲が勝つだろう。ところで現代の火器を丁度鉄砲に対する弓くらいの価値に貶してしまうような次の時代の兵器が想像出来るだろうか。 火薬は化合し易い数種の薬品の混合で、その勢力は分子の結合の際出て来るものである。その進歩が行き詰って爆薬の出現となったのであるが、爆薬の方は不安定な化合物の爆発的分解によるもので、勢力の源を分子内に求めている。もち
正宗白鳥
先夜室生犀星君の逝去を電話で最初に知らせて来た或る新聞記者は、同君についての私の感想を求めた。が、私は咄嗟に返答することが出来なかったので固く断った。私は現代作家論を幾つも書いているが、犀星論はまだ一度も書いたことがなかったように思っている。それについていろいろ考えながら眠りに就いた。翌日弔問のために、氏の住所を記した紙片を持って出掛けたが、一二度新聞社の自
正宗白鳥
君は古稀を過ぐる長き人間生活に於て、また半世紀に達する長き文壇生活に於て、敢て奇を弄せず環境に身を委ねて生存を持続されたり。人間の苦難を苦難とし、喜悦を喜悦とし、思想に於ても感情に於ても作為の跡は非ざりしようなり。君の文学は坦々として毫も鬼面人を驚かすようなこと無く、作中に凡庸社会を描叙しながら、そのうちに無限の人間味を漂わせたり。熟読翫味してます/\味わい
久保田万太郎
* 田端に天然自笑軒といふ古い料理屋がある。古いといつても、明治の、日露戦争のあとをうけた好況時代に出来たものらしいが、わたくしの二十三四、さうした場所に関心をもちはじめた時分、すでに相当、有名でもあれば、洒落れた贅沢なうちとして、一部に、ことさらな勢力をもつてゐたこともたしかだつた。いまでは、毎年、七月二十四日、芥川龍之介君の河童忌をやるうちになつてゐる。
小川未明
もうじきに春がくるので、日がだんだんながくなりました。晩方、子供たちが、往来で遊んでいました。孝ちゃんと、勇ちゃんと、年ちゃんは、石けりをしていたし、みつ子さんとよし子さんは、なわとびをしていました。 うす緑色の空に、頭をならべている木々のこずえは、いくらか色づいているように見えました。いろいろの木の芽が、もう出ようとしているのです。 ちょうど、このとき、あ
戸坂潤
デカルトと引用精神 戸坂潤 古くダンテがイタリア語の父であるとされ、又降ってルターがドイツ語の完成者と云われるように、ルネ・デカルトはフランス語の恩人とされている。ダンテの『神曲』、ルターの『新約聖書』の翻訳に、その意味で比較すべきものは、『方法叙説』と呼ばれているあの Discours de la Mthode である(之は屈折光学と気象学と幾何学との後か
中原中也
実際その電報には驚いた。僕としてそんな用命にあづかつたことは生れて初めてでもあつた。「アスアサゴジヒキコシテツダヒタノム」といふのだ。朝五時!……僕は此の十幾年といふもの夜昼転倒の生活をしてゐるのだ。それを電報打つたその親戚も知らないわけでもないのだ。驚いたといふよりも癪に障つたね。三十年近く広島といふお天気の好い街の教会で伝道婦として働いたその叔母の甘えた
内藤湖南
弘法大師の事に就きましては、年々こちらで講演がありまして、殊に今日見えて居ります谷本博士の講演は、私も拜聽も致し、又其の後小册子として印刷せられましたものも拜見いたしました。それで先づ弘法大師に關する總論と申しますか、兎に角弘法大師に關する全般の觀察に就きましては、殆ど谷本博士の講演に盡きて居りますので、其の外に別に新らしい事を見付け出し得ようと云ふことはあ
ゴルドンエリザベス、アンナ
本書はゴルドン夫人の艸せられしを、可成原意を損せざる樣に注意したるも、譯文拙劣にして全豹を示すこと能はざるを憾む、原意の徹底せざる所はその責譯者に在り。夫人はその老躯を以て今夏再び嚴島に游び、更に讃岐に渡り、大師の降誕地を訪ひ、遂に高野山の靈廟に詣せり、夫人の大師追慕の念深きを知るべし。 明治四十二年九月高楠順次郎 「我れ爾曹に告げん、此輩もし默止せば かの
小川未明
空が曇っていました。 正ちゃんが、学校へゆくときに、お母さんは、ガラス戸から、外をながめて、 「今日は、降りそうだから雨マントを持っておいで。」と、注意なさいました。 「じゃまでしかたないんだよ。もしか、降ったら、一、二っと駈けだしてくるから。」と、答えて正ちゃんは、すなおにお母さんのいうことをききませんでした。 どこか、曇った空にも明るいところがあって、す
岸田国士
洪次郎 紅子 基一郎 東京市内のある裏通りで、玄関の二畳から奥の六畳へ是非とも茶の間を通つて行かねばならぬ不便な間取りの家。 座敷には瀬戸の丸火鉢が一つと、床の間にヴアイオリンのケースが置いてある。茶の間には粗未な鏡台。羽織を重ねたまゝの女の外出着が、だらしなく壁にかゝつてゐる。神棚の上に、麦藁帽子が仰向けにのつてゐることゝ、座敷と茶の間に跨つて、チヤブ台と
中島敦
弟子 中島敦 一 魯の卞の游侠の徒、仲由、字は子路という者が、近頃賢者の噂も高い学匠・陬人孔丘を辱しめてくれようものと思い立った。似而非賢者何程のことやあらんと、蓬頭突鬢・垂冠・短後の衣という服装で、左手に雄、右手に牡豚を引提げ、勢猛に、孔丘が家を指して出掛ける。を揺り豚を奮い、嗷しい脣吻の音をもって、儒家の絃歌講誦の声を擾そうというのである。 けたたましい
岸田国士
今の日本ではさういふことはあるまいけれど、私が三十年前にパリへ出掛けた頃は、仏蘭西に於ける新しい演劇界の消息といふものは、かいもく見当がつかぬ有様であつた。 パリにつくと、めくらめつぱふに芝居をみて歩き、新聞や雑誌をあさつて目星しい作家や劇団を名をひろひ、新刊旧刊の書物をむさぼり読んで、それでもひととほり、その時代の演劇地図を頭にいれるまで、たつぷり一年はか