十二支考 02 兎に関する民俗と伝説
南方熊楠
第1図 野兎 第2図 熟兎 第3図 岩兎 この一篇を綴るに先だち断わり置くは単に兎と書いたのと熟兎と書いた物との区別である。すなわちここに兎と書くのは英語でヘヤー、独名ハーセ、ラテン名レプス、スペイン名リエプレ、仏名リエヴル等が出た、アラブ名アルネプ、トルコ名タウシャン、梵名舎々迦、独人モレンドルフ説に北京辺で山兎、野兎また野猫児と呼ぶとあった。吾輩幼時和歌
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南方熊楠
第1図 野兎 第2図 熟兎 第3図 岩兎 この一篇を綴るに先だち断わり置くは単に兎と書いたのと熟兎と書いた物との区別である。すなわちここに兎と書くのは英語でヘヤー、独名ハーセ、ラテン名レプス、スペイン名リエプレ、仏名リエヴル等が出た、アラブ名アルネプ、トルコ名タウシャン、梵名舎々迦、独人モレンドルフ説に北京辺で山兎、野兎また野猫児と呼ぶとあった。吾輩幼時和歌
南方熊楠
『古今要覧稿』巻五三一に「およそ十二辰に生物を配当せしは王充の『論衡』に初めて見たれども、『淮南子』に山中未の日主人と称うるは羊なり、『荘子』に〈いまだかつて牧を為さず、而して奥に生ず〉といえるを『釈文』に西南隅の未地といいしは羊を以て未に配当せしもその由来古し」と論じた。果してその通りなら十二支に十二の動物を配る事戦国時既に支那に存したらしく、『淮南子』に
南方熊楠
「張り交ぜの屏風ひつじの五目飯」てふ川柳がある。この米高また紙高の時節に羊に関する雑談などを筆するは真に張り交ぜ屏風を造って羊に食わすほど紙潰しな業と思えど、既に六、七年続き来った『太陽』の十二獣談を今更中絶も如何と、流行感冒の病み上りでふらつく頭脳で思い付き次第に書き出す。 既に米高と言ったから、米高がかった話より初めよう。昔スウェーデン大凶年で饑飢免るべ
南方熊楠
南洋ニュウブリツン土人の説に、犬はもと直立して歩み甚だ速やかに走って多くの人を殺した。そこで生き残った人間が相談して、麪包果を極めて熱しその種子を犬の通路に撒いた。犬これを踏んで足を焼き、倒れて手をも焦し、それより立って歩む事叶わず。その種子今も、犬の足の裏に球となって残りあるという(一九一〇年版、ジョージ・ブラウンの『メラネシアンスおよびポリネシアンス』二
南方熊楠
十二月(大正十一年)初め博文館から「イノシシノゲンコハヤクオクレ」と電信あり、何の事か判らず左思右考するに、上総で蕨を念じ、奥州では野猪の歌を唱えて蝮蛇の害を防ぐとか。しかる上は野猪と蕨の縁なきにあらず。蜀山人の狂歌に「さ蕨が握り拳をふり上げて山の横つら春風ぞふく」、支那にも蕨の異名を『広東新語』に拳菜、『訓蒙字会』に拳頭菜など挙げいるから、これは一番野猪と
南方熊楠
明けまして子年となると、皆様一斉に鼠を連想する。子の年は鼠、丑の年は牛と、十二支に十二禽を割り当る事、古く支那に起って、日本・朝鮮・安南等の隣国に及ぼし、インドやメキシコにも多少似寄った十二物を暦日に配当した事あれど、支那のように方位に配当したと聞かぬ(拙文「四神と十二獣について」)。清の趙翼の『※余叢考』三四にいわく、『春風楼随筆』に、『唐書』にキルギス国
竹内浩三
一月―― 凍てた空気に灯がついた 電線が口笛を吹いて 紙くずが舞上った 木の葉が鳴った スチュウがノドを流れた 二月―― 丸い大きな灰色の屋根 真白い平な地面 つけっぱなしのラムプが 低うく地に落ちて 白が灰色に変った 三月―― 灰色はコバルトに変り 白は茶色に変った 手を開けたら 汗のにおいが少しした 四月―― ごらん おたまじゃくしを 白い雲を そして若
太宰治
十二月八日 太宰治 きょうの日記は特別に、ていねいに書いて置きましょう。昭和十六年の十二月八日には日本のまずしい家庭の主婦は、どんな一日を送ったか、ちょっと書いて置きましょう。もう百年ほど経って日本が紀元二千七百年の美しいお祝いをしている頃に、私の此の日記帳が、どこかの土蔵の隅から発見せられて、百年前の大事な日に、わが日本の主婦が、こんな生活をしていたという
中谷宇吉郎
六華豊年の兆という言葉がある位、雪の結晶といえば六花ときまっているように思われているが、中には十二花のものもある。第2図の写真は一九三四年の冬十勝岳で撮られた十二花の結晶の一例であるが、その外に、三花四花などの結晶も案外珍しくない。 十二花の雪は実は天保三年刊行の土井利位の『雪華図説』に立派な摸写が出ている。第1図はそれを転載したもので、長短二種の枝が交互に
野口雨情
螢の提灯光つてる ぴかん ぴかん光つてる 早くみんなで追つかけよう 螢の提灯考へた ぴかん ぴかん考へた 早く提灯とつちまい 螢の提灯消えちやつた つーん つーん消えちやつた 早く蝋燭見せてやれ。
太宰治
れいの戦災をこうむり、自分ひとりなら、またべつだが、五歳と二歳の子供をかかえているので窮し、とうとう津軽の生家にもぐり込んで、親子四人、居候という身分になった。 たいていの人は、知っているかと思うが、私は生家の人たちと永いこと、具合の悪い間柄になっていた。げびた言い方をすれば、私は二十代のふしだらのために勘当されていたのである。 それが、二度も罹災して、行く
海野十三
十八時の音楽浴 海野十三 1 太陽の下では、地球が黄昏れていた。 その黄昏れゆく地帯の直下にある彼の国では、ちょうど十八時のタイム・シグナルがおごそかに百万人の住民の心臓をゆすぶりはじめた。 「ほう、十八時だ」 「十八時の音楽浴だ」 「さあ誰も皆、遅れないように早く座席についた!」 アリシア区では博士コハクと男学員ペンとそして女学員バラの三人がいるきりだった
海野十三
『十八時の音楽浴』の作者の言葉 海野十三 この書は、僕の科学小説集の第三冊目にあたる。 この前、同じ版元から『地球盗難』を刊行したが、これは意外に好評であった。この『地球盗難』はその後、三夜連続のラジオドラマとして放送され、更に好評を博した。それでいよいよ待望の科学小説時代が来たらしいと思ったわけであったが、途端に日中戦争が始まり、出版界は大動揺を来たした。
織田作之助
十八歳の花嫁 織田作之助 最近私の友人がたまたま休暇を得て戦地から帰って来た。○日ののちには直ぐまた戦地へ戻らねばならぬ慌しい帰休であった。 久し振りのわが家へ帰ったとたんに、実は藪から棒の話だがと、ある仲人から見合いの話が持ち込まれた。彼の両親ははじめ躊躇した。婚約をしてもすぐまた戦地へ戻って行かねばならぬからである。しかし、先方はそれを承知だと、仲人に説
宮本百合子
十八番料理集 宮本百合子 白菜と豚の三枚肉のお鍋 そろそろ夜がうすら寒くなってくると家でよくするお惣菜の一つです。白菜を四糎位に型をくずさない様にぶつぶつ切りまして、三枚肉は普通に切ったのを一緒に水をたっぷり入れてはじめからあんまり強くない火で永い時間に煮ます。味は食塩と味の素と胡椒でつけて一番終いにほんの一滴二滴醤油を落します。白菜がすっかりやわらかくなっ
永井荷風
十六、七のころ、わたくしは病のために一時学業を廃したことがあった。もしこの事がなかったなら、わたくしは今日のように、老に至るまで閑文字を弄ぶが如き遊惰の身とはならず、一家の主人ともなり親ともなって、人間並の一生涯を送ることができたのかも知れない。 わたくしが十六の年の暮、といえば、丁度日清戦役の最中である。流行感冒に罹ってあくる年の正月一ぱい一番町の家の一間
宮沢賢治
よく晴れて前の谷川もいつもとまるでちがって楽しくごろごろ鳴った。盆の十六日なので鉱山も休んで給料は呉れ畑の仕事も一段落ついて今日こそ一日そこらの木やとうもろこしを吹く風も家のなかの煙に射す青い光の棒もみんな二人のものだった。 おみちは朝から畑にあるもので食べられるものを集めていろいろに取り合せてみた。嘉吉は朝いつもの時刻に眼をさましてから寝そべったまま煙草を
中谷宇吉郎
機会があったら今一度行ってみたいと思うものは、十勝岳の真冬の景色である。もう五年も前の話になるが、雪の研究のためと言って、二冬続けて、五度ばかりも十勝岳へ行ったことがある。 十勝岳といっても、落着く先は、いつも中腹千メートルあまりの高さの所にあるヒュッテであった。そのヒュッテは、本当は森林管視人の住い家であって、その頃はO老人夫婦が棲んでいた。O老人はその生
高村光太郎
銅とスズとの合金が立つてゐる。どんな造型が行はれようと無機質の圖形にはちがひがない。はらわたや粘液や脂や汗や生きもののきたならしさはここにない。すさまじい十和田湖の圓錐空間にはまりこんで天然四元の平手打をまともにうける銅とスズとの合金で出來た女の裸像が二人影と形のやうに立つてゐる。いさぎよい非情の金屬が青くさびて地上に割れてくづれるまでこの原始林の壓力に堪へ
宮本百合子
十四日祭の夜 宮本百合子 七月も一日二日で十日になる。今年も暑気はきびしいように思われる。年々のいろいろな七月、いろいろなあつさを思いかえすうち、不図明るい一つの絵提灯のような色合いでパリの七月十四日の夜が記憶に甦って来た。 一七八九年の七月十四日、フランスの人々は現代に到る自分たちの社会を持つようになった。その国民的な祝祭が十四日祭に毎年行われる。 映画の
野村胡堂
「あら松根様の若様」 「――――」 恐ろしい魅力のある声を浴せられて、黙って振り返ったのは、年の頃二十三四、色の浅黒い、少し沈鬱な感じですが、何となく深味のある男でした。 不意に呼びかけられて、右手に編笠を傾げるうちにも、左手は一刀の鯉口を、こう栂指で押えていようといった嗜みは、敵持ちか、要心深さがさせる業か、とに角容易ならぬ心掛の若者です。 「余吾之介様―
中島敦
十年前、十六歳の少年の僕は学校の裏山に寝ころがって空を流れる雲を見上げながら、「さて将来何になったものだろう。」などと考えたものです。大文豪、結構。大金持、それもいい。総理大臣、一寸わるくないな。全くこの中のどれにでも直ぐになれそうな気でいたんだから大したものです。所でこれらの予想の外に、その頃の僕にはもう一つ、極めて楽しい心秘かなのぞみがありました。それは
久保田万太郎
――まど子さん、何年になつたの、今度?…… と、ぼくは、たま/\逢つたKさんの、上のはうのお嬢さんに、何んの気なしに訊いた。 ――来年、卒業です。 と、まど子さんは、ニッコリ、口もとをほころばした。 ――えッ、来年、卒業?…… ぼくは、おもはず大きな声をだして、 ――ほんと、まど子さん?…… と、改めて、まど子さんの顔をみた。 ――えゝ。 まど子さんは、もう
海野十三
十年後のラジオ界 海野十三 「ときにAさん。」 「なんだいBさん。」 「十年経ったら、ラジオ界はどうなる?」 「しれたことサ。ラジオ界なんてえものは、無くなるにきまってる。」 「へえ、なくなるかい。――今は随分流行ってるようだがネ。無くなるとは、ヤレ可哀相に……。」 「お前は気が早い。くやみを言うにゃ、当らないよ。僕はラジオ界がなくなると言ったが、『ラジオ』