中村・阪中二君のこと
岸田国士
中村正常君は戯曲家として世間の一部に名前を知られてゐる人である。僕は同君の作品を殆どみな読んだが、その世界の狭さには一寸驚いた。狭いだけならそんなに驚かないが、その狭い世界をはつきり掴んでゐるのに驚いた。どの作品も、悉く「ある青年がある少女を愛してゐるが、その少女は別に許婚なり恋人なりがあり、その青年をそばへ寄せつけておきながら、その青年の悩みを募らせること
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岸田国士
中村正常君は戯曲家として世間の一部に名前を知られてゐる人である。僕は同君の作品を殆どみな読んだが、その世界の狭さには一寸驚いた。狭いだけならそんなに驚かないが、その狭い世界をはつきり掴んでゐるのに驚いた。どの作品も、悉く「ある青年がある少女を愛してゐるが、その少女は別に許婚なり恋人なりがあり、その青年をそばへ寄せつけておきながら、その青年の悩みを募らせること
岸田国士
誰かの小説にあつたやうに思ふが、ある画家がこれも画家である友人の才能をねたみ、その作品が後世に伝へられることを妨げるため、その友人の作品を全部価格に頓着なく買収して、悉くこれを破棄するといつた話――私は、この話が如何にも作り事らしいのでこれをそのまゝ実際問題の例にはしたくないのだが、それと似た話で――ある女優が若い画家に自分の肖像をかいてもらつたが、どうも気
岸田国士
*悲劇喜劇は、人生の中に舞台を観ようとするものの覘眼鏡である。 *悲劇喜劇は、近代演劇の迷宮を訪ふものの為めに編まれた新版案内書である。 *悲劇喜劇は、今の芝居を観に行かない人々を顧客とする移動小劇場である。 *悲劇喜劇は、また、劇を談ずるだけが能でない芸術的酒場である。 *最後に悲劇喜劇は、一部私の貧しいノオトである。(岸田國士) ●図書カード
岸田国士
私が雑誌を出すといふ話をすると、友人のあるものは、「そんな必要があるか」と問ひ返す。「面倒な仕事だからよせ」と云ふものさへある。 私はたゞ笑つて之に応へてゐるのだが、実際私自身の気持としては、是非雑誌を出さなければならないといふ理由もなく、それがまたどんなに面倒な仕事か、ほゞ想像もついてゐる。 そんならどうしてこんなことを思ひ立つたかと云ふと、私自身が、今、
岸田国士
今日までかういふ種類の雑誌があつたかどうか、いはゆる「公器」としては、あまりに個人本位であり、いはゆる「同人雑誌」としては、あまりに門戸開放に過ぎると思はれる、一雑誌の存在は、当今、少しく時代錯誤の観がないでもないが、流行は必ずしも一世の識者を悉く眩惑し去るものではないと思ふから、私は、好んで自分の立場を守ることにした。 敢て野心的な言葉を弄するなら、私は、
岸田国士
私は巴里滞在中、二三の画家諸君と識り合ひになり、ちよいちよいアトリエを訪ねるやうなこともあつたが、いつでもその仕事振り、生活振りに多大の興味を惹かれた。 第一に、いかにも楽しさうに仕事をしてゐる。母親が娘に晴着を著せてゐるやうだともいへるし、子供がお土産に貰つた寄木細工を弄んでゐるやうだともいへ、或はまた、酒飲みが晩酌の膳に向つたやうでもあり、善良な夫が細君
岸田国士
私は夙に近代劇の研究はイプセンから始めなければならぬと教えられてゐた。然るに私は、日本を離れるまで、二篇の邦訳を手にしただけである。巴里に来て、近所の貸本屋から、プロゾオルといふ人の仏訳を借りて来て、毎日読み耽つた。あれでたしかイプセンの作品は全部読んだ筈である。 これから実際の舞台を観なければならぬ。それには幸ひルュニェ・ボオのメエゾン・ド・ルウヴル(創作
岸田国士
私。俳優志望の理由を簡単に云つて御覧なさい。志望者。理由と云つて、別にありません。たゞ、自分で芝居がして見たいといふだけです。私。芝居をするといふのは、舞台に立つといふことですか。志望者。さうです。私。一つの芝居が出来上るためには、どういふ人々が必要であるか、それがわかつてゐますか。志望者。それは上演する脚本によつて違ひます。私。と云ふと……?志望者。あゝ、
岸田国士
問屋種切れ 岸田國士 大戦後、欧洲各国の都市に擡頭した新劇運動の余波は、わが国にも及んで、かの表現派、構成派等の新傾向をはじめ、思想的にも技術的にも、様々な流派が一時にわが劇壇の空気を彩つた。 ところが、昨今では、本家本元の欧洲諸国でも、一時華々しく喧伝された新傾向が次第に珍しがられなくなり、珍しくなければちつとも魅力がないから、それ自身滅びるより仕方がなく
岸田国士
近頃また新劇団が簇出して、盛に招待券を撒いてゐるといふ噂だが、この事実を以て直に新劇の好況時代と見做すことはできない。 僕は寧ろ、この状態こそ、凡ゆる意味に於て、新劇の衰微を語るものであらうと思ふ。それは「新劇なら誰にでもできる」といふ真理が横行しだした証拠だからである。 社会主義的宣伝劇も結構である、所謂、娯楽的大衆劇もよろしい、しかしながら、一方で、「演
岸田国士
愛妻家の一例 岸田國士 ルナアルの日記を読んで、いろいろ面白い発見をするのだが、彼は自分の少年時代を、「にんじん」で過したゞけあつて、大人になつてからも、常に周囲を「にんじん」の眼で眺め暮した世にも不幸な人間なのである。一度は友達になるが、その友達は、大概いつかは彼のひねくれ根性に辟易し、彼の方でも、その友達のどこかに愛想をつかして、どちらからともなく離れて
岸田国士
『断層』の作者久板栄二郎君へ 岸田國士 「文芸」所載の貴作『断層』について、「テアトロ」から何か感想を書けといふ註文ですが、僕はあれを草稿の時分に読んで聞かせていただいたきり、まだ活字になつたのを拝見してゐませんから、その後手をお入れになつた部分について――つまりその部分を含めて、全体の意見を述べることはできません。 しかし、あの草稿を仮に決定的なものとして
岸田国士
新撰劇作叢書刊行について 岸田國士 わが国新劇運動の歴史を通じて、この二三年ぐらゐ、演劇の本質問題が真面目に論議せられ、それが着々実践に遷された期間はないやうに思ふ。十分な成果を得るためにはなほ種々な好条件を必要とするが、少くとも新しいヂェネレエションの戯曲創作上に齎した著しい質的向上は、正に劃期的な現象と見なければなるまい。然るに、一般からは、戯曲界不振の
岸田国士
『赤鬼』の作者阪中正夫君 岸田國士 新劇を見るほどの人で阪中正夫君の名を知らぬ人はあるまい。また、創作座の支持者で、『馬』の舞台から何か「新鮮なもの」を感じなかつた人もあるまい。 阪中君は、戯曲家として、やはり、リリシズムに出発し、現実の解剖に進んだ優れた作家の一人であるが、最近に至り、彼の着眼は次第に人間生活の複雑な機構、「利害」の心理ともいふべき一種素朴
岸田国士
中野重治氏に答ふ 岸田國士 一、役者が批評家と公然の舞台で議論するやうになることは、特にいいこととも考へられませんが、自分の主張を、役者なるが故に、堂々と発表できないといふ習慣は、勿論、排撃すべきでありませう。 所謂「人気商売」といふやうな安直なレッテルを貼られ、世間へぺこぺこ頭を下げてみせるやうな役者は、たとへその機会が与へられたとしても、批評家を向ふに廻
岸田国士
新築地劇団に望む 岸田國士 人各々その畑ありで、僕は自分の仕事を自分に適した範囲でやらうと思つてゐるが、また一方「新劇」といふ一般の立場から、それぞれの偏向を超越して、共通の問題を問題とすることも亦、自分に課せられた役目の一つだと思つてゐる。 文学の領域でも、作家同士が、自分の「傾向」乃至は「流儀」を他に押しつけ、これを標準として相手の仕事の価値を、云々する
岸田国士
新劇の始末 岸田國士 新劇とは? 「新劇」といふ言葉は最初誰がどういふ意味で使ひ出したか知らぬが、「新しい芝居」といふことを漢語で云つたまでで、専門的な術語と見做すわけに行かぬと思ふ。従つて、ある限られた範囲のものを指すためには、甚だ不都合な言葉である。 今日の通念としては、大小の商業劇場が、営利を目的として一般大衆に見せる芝居は、歌舞伎も新派も、その他何々
岸田国士
シュアレスの「三人」(宮崎嶺雄君訳) 岸田國士 私は嘗て、シュアレスを知るために、そして同時に、フランス人の観たイプセンなるものを注意するために、この『Trois Hommes』を読んだ。 近代劇の始祖といふ名で、また、深刻な思想劇作者といふ名で、この北欧の天才を眺めてゐた私の眼前に、忽ち、一個の異つた風貌が現はれた。民族の夢と痼疾を背負ひ、しかも、これに立
岸田国士
チロルの古城にて 岸田國士 ベルサイユの講和条約に、国境劃定委員会が出来て、その一分科である墺伊両国間の国境劃定に日本からも委員を出すことゝなつて服部兵次郎少将(当時中佐)が任命され、私は通訳として随行した。少々古い話だが――。 墺伊の国境にはチロルといふローマ時代の伝統をそのまゝ保存してゐる歴史的の小国がある。こゝは谷あひの、景勝の地を占め、いかにも平和な
岸田国士
日記について 岸田國士 私は日記をつけない。なぜつけないかと訊かれると、返事に困るが、どうもつける気がしない。それでも今までに、つけてゐたらよかつたと思ふことは思ふ。すると、結局、私の中に、日記をつけたくてもつけさせない何ものかがあるのか、または、つけないではゐさせないやうな何ものかが欠けてゐるのであらう。 面白い日記をつけるやうな人物は、みんな一とかどの人
岸田国士
新劇の拓く道 岸田國士 去年の半ば頃から生れて来た所謂新劇の大同団結運動といふのは、簡単にいふならば、それぞれに少数にすぎない熟練的技術者を擁して、一つの劇団としては十分に客を惹く力に乏しいところから、寧ろ各劇団の優秀な技術者を引抜いて、それで一つの劇団を拵へて、十分職業的に自活し得るものにして行きたいといふのがその趣旨であつた。これは一応理想としては結構な
岸田国士
新劇倶楽部創立に際して 岸田國士 非常に漠然とした提議の内容でありましたが、それにも拘はらず大体の趣旨に御賛成の上でありませう、今日、わざわざここへお集り下さいましたことは、私として感謝にたへません。 実は、今日の集りは、なるべく固苦しい論議をさけて、いはば、お互に顔を知り合ひ、何かしらそこに、同じ仕事にたづさはつてゐる者同士の親しみ、しかも、めいめいが自分
岸田国士
日本の新劇 岸田國士 現在いろいろな場合に新劇といふ言葉が使はれてをりますが、先日もある機会に、「新劇」とはなんぞやといふ質問が出ましたのに、この答へを当然用意してゐなければならない人々が、実はお互に顔を見合せて苦笑をした次第であります。 これを「新しい芝居」と云ひ直してみても、その「新しい」といふことが何処までの範囲を指すか問題になります。何時如何なる時代
岸田国士
プログラム 岸田國士 毎月僕のところへも、各種の劇団からプログラムと切符とを送つてくれる。プログラムにはひと通り眼を通すが、切符は利用すること稀である。失礼だが、僕の食慾をそそるに足るものがない。作者も脚本も俳優も演出家も、それらを知ると知らざるとに関係なく、舞台は大体想像がつく。プログラムの匂ひをかげばわかるやうな気がする。 なかには、僕の脚本を無断で上演