Vol. 2May 2026

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釈宗演師を語る

鈴木大拙

今年の夏、米国シカゴ市で万国博覧会を開くその序でに、万国宗教大会を催すと云う計劃があったと聞く。併しそれは中止になったらしい。その理由の一として、もしそんな大会を開くと、今から四十年前に同じ市で同じ会合があった時のように、東方からの宗教者に宣伝の好機会を与え、藪から蛇をつつき出すことになる、而してそれは基督教徒にとって好都合のことではないと、こう云うのが一の

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釈迢空

斎藤茂吉

釋迢空 齋藤茂吉 歌人【本名】折口信夫【閲歴】明治二十年二月十一日、大阪市浪速區鴎町一丁目に生れた。三十八年、天王寺中學卒業。少年の頃より讀書癖があり、三十四年以來「文庫」(別項)の短歌欄に投稿し、服部躬治の撰を經た。三十八年國學院大學部豫科に入學。四十三年に根岸派の短歌會に莅む。ついで大正六年から十二年まで雜誌「アララギ」(別項)の同人として、作歌及び評論

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釈迢空に与ふ

斎藤茂吉

釋迢空に與ふ 齋藤茂吉 君が歌百首を發表すると聞いたとき僕は嬉しいと思つた。いよいよ「アララギ」三月號が到來して君の歌を讀んでみて僕は少し殘念である。遠く離れて、君に面と向つて言へないから今夜この手紙を書かうと思つた。 つまり心の持方が少し浮いてゐないか。目が素どほりして行つて居ないか。歌ひたい材料があり餘るほどあつても、棄て去るのが順當だと思はれるのが大分

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里の今昔

永井荷風

昭和二年の冬、酉の市へ行った時、山谷堀は既に埋められ、日本堤は丁度取崩しの工事中であった。堤から下りて大音寺前の方へ行く曲輪外の道もまた取広げられていたが、一面に石塊が敷いてあって歩くことができなかった。吉原を通りぬけて鷲神社の境内に出ると、鳥居前の新道路は既に完成していて、平日は三輪行の電車や乗合自動車の往復する事をも、わたくしはその日初めて聞き知ったので

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里の今昔

永井荷風

里の今昔 永井荷風 昭和二年の冬、酉の市へ行つた時、山谷堀は既に埋められ、日本堤は丁度取崩しの工事中であつた。堤から下りて大音寺前の方へ行く曲輪外の道も亦取広げられてゐたが、一面に石塊が敷いてあつて歩くことができなかつた。吉原を通りぬけて鷲神社の境内に出ると、鳥居前の新道路は既に完成してゐて、平日は三輪行の電車や乗合自動車の往復する事をも、わたくしは其日初め

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里の春、山の春

新美南吉

里の春、山の春 新美南吉 野原にはもう春がきていました。 桜がさき、小鳥はないておりました。 けれども、山にはまだ春はきていませんでした。 山のいただきには、雪も白くのこっていました。 山のおくには、おやこの鹿がすんでいました。 坊やの鹿は、生まれてまだ一年にならないので、春とはどんなものか知りませんでした。 「お父ちゃん、春ってどんなもの。」 「春には花が

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重兵衛さんの一家

寺田寅彦

明治十四年自分が四歳の冬、父が名古屋鎮台から熊本鎮台へ転任したときに、母と祖母と次姉と自分と四人で郷里へ帰って小津の家に落ちつき、父だけが単身で熊本へ赴任して行った。そうして明治十八年に東京の士官学校附に栄転するまでただの一度も帰省しなかったらしい。交通の便利な今のわれわれにはちょっと想像し難いほどの長い留守を明けたものであるが、若い時から半分以上は他国を奔

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重右衛門の最後

田山花袋

重右衛門の最後 田山花袋 一 五六人集つたある席上で、何ういふ拍子か、ふと、魯西亜の小説家イ、エス、ツルゲネーフの作品に話が移つて、ルウヂンの末路や、バザロフの性格などに、いろ/\興味の多い批評が出た事があつたが、其時なにがしといふ男が急に席を進めて、「ツルゲネーフで思ひ出したが、僕は一度猟夫手記の中にでもありさうな人物に田舎で邂逅して、非常に心を動かした事

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重吉漂流紀聞

久生十蘭

名古屋納屋町小島屋庄右衛門の身内に半田村の重吉という楫取がいた。尾張知多郡の百姓だったのが、好きで船乗りになり、水夫から帆係、それから水先頭と段々に仕上げ、二十歳前で楫場に立った。文化十年、重吉が二十四歳の秋、尾張藩の御廻米を運漕する千二百石積の督乗丸で江戸へ上ったが、船頭と五人の水夫が時疫にかかって陸に残り、重吉が仮船頭をうけたまわって名古屋まで船を返すこ

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マックアーサーの重大発表

中谷宇吉郎

九月三日のシカゴ・トリビューンには、マックアーサー元帥の重大な發表が出ている。天皇と戰犯の問題についてである。 この話は、九月二日に、重光外相が、マックアーサーのニューヨークの寓居を訪ねた時、元帥が發表したものである。そしてこれは、今まで未發表の大戰誌の一こまであると言っている。終戰直後に、ソ連は、天皇を戰犯に指定し、他の戰爭指導者たちと一緒に、絞首刑に處す

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重病室日誌

北条民雄

×月×日。 右腕の神経痛で七号病室へ入室した。空は陰気に曇つて今にも降り出しさうな夕暮である。室内は悪臭激しく、へどを吐きたくなる。送つて来てくれた舎の連中が帰つてしまふと、だんだんじつとしてゐるのが堪へられなくなる。入院した最初の日と全く同じ気持である。あの時、この入院第一日の印象は死ぬまで黒い核のやうに心の中に残るであらうと思つたのを思ひ出し、慄然とする

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ロボットとベッドの重量

直木三十五

ロボットとベッドの重量 直木三十五 一 「お前、本当に――心から、俺を愛しているかい。」 KK電気器具製作所、ロボット部主任技師、夏見俊太郎は病に蝕まれ、それと悪闘し、そして、それに疲労してしまった顔と、声とで、その夫人に、低く話かけた。(また――病人って、どうしてこんなに、執拗ものなのかしら) 夫人は、頭の隅で、一寸、こう眉を、ひそめてから、 「ええ、愛し

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野ばら

小川未明

大きな国と、それよりはすこし小さな国とが隣り合っていました。当座、その二つの国の間には、なにごとも起こらず平和でありました。 ここは都から遠い、国境であります。そこには両方の国から、ただ一人ずつの兵隊が派遣されて、国境を定めた石碑を守っていました。大きな国の兵士は老人でありました。そうして、小さな国の兵士は青年でありました。 二人は、石碑の建っている右と左に

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野兎の歌

槙村浩

(ふん、芸術家ってものは、獄中ですらきれ/″\ながら守りたてゝいる組織を、あまり勝手に外で、解散しすぎるぢゃないか。そんな組織なら連袂脱盟して政治専一にしろよ。――と言った別れしなの獄内の同志の言葉を僕はなだめかねた。) ある特殊の野兎たちは集まり、手分けし野兎たちを組織しできるだけ多くの同僚を野兎にしようとする彼等は前足の陰のみづかきみたいなものでまじめに

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野口英世博士の生家を訪ひて (野口記念館の設立を希望す)

土井晩翠

東京朝日新聞に、『世界人の横顏』の第十六回野口英世のそれが、北島博士の筆で面白く書かれたのを讀んだのは半年前である。甚だ漠然としてゐる言葉だが『世界人』とは文明世界一般に廣く知られてゐる偉人といふ意味であらう。但し名が喧傳すると共に眞に世界の文化に貢獻して多大の恩惠を施し、その報として眞に受くべき光榮を世界から受けた人なら一層ありがたい、文字通りにも有り難い

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野の哄笑

相馬泰三

型の如く、青竹につるした白張の提灯、紅白の造花の蓮華、紙に貼付けた菓子、雀の巣さながらの藁細工の容物に盛つた野だんご、ピカピカ磨きたてた真鍮の燭台、それから、大きな朱傘をさゝせた、着飾つた坊さん、跣の位牌持ち、柩、――生々しい赤い杉板で造つた四斗樽ほどの棺桶で、頭から白木綿で巻かれ、その上に、小さな印ばかりの天蓋が置かれてある。棺台に載せて、四人して担いだ。

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野に声なし

豊島与志雄

野に声なし 豊島与志雄 芸術上の作品は、必ずその作者の心境を宿す。反言すれば、芸術家の心境は、必ずその作品に反映する。 作者の心境を宿していない作品は、本当の芸術的作品ではない。作品に反映さすべき心境を持たない作家は、本当の芸術的作家ではない。 作品は作家の心境を多く宿せば宿すほど、本質的に益々芸術品となる。作家は作品のうちに己の心境を多く反映さすればさする

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野に山にかかる虹の橋

中井正一

野に山にかかる虹の橋 中井正一 一九五〇年の新しい年があけるにあたって、日本の図書館は何を自らに省みるべきであろうか。 この世紀の前半、私達は、まず図書館の建設、本の集積に力をつくして来た。この事は互いに競争し、互いに追いつ追われつ、進み来たった道であった。しかし、この世紀の後半は、それだけではすまなくなってきた。 もはや私達は、互いに競争し、互いに孤立しあ

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野狐

田中英光

ひとのいう、(たいへんな女)と同棲して、一年あまり、その間に、何度、逃げようと思ったかしれない。また事実、伊豆のM海岸に疎開のままになっている妻子のもとに、度々戻ったこともある。 しかし、それはいつも完全に逃げられなかった。(たいへんな女)が恋しく、女房の鈍感さに堪えられなかったのである。たいへんな女、桂子の過去を私はよく知らない。私は桂子と街で逢った。けれ

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野球時代

寺田寅彦

野球時代 寺田寅彦 明治二十年代の事である。今この思い出を書こうとしている老学生のまだ紅顔の少年であったころの話である。太平洋からまともにはげしい潮風の吹きつけるある南国の中学にレコードをとどめた有名なストライキのあらしのあった末に英国仕込みでしかも豪傑はだの新しい校長が卒業したての新学士の新職員五六人を従えて赴任すると同時にかび臭いこの田舎の中学に急に新し

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「野菊の如き君なりき」を見て

中野鈴子

湧く水のように 自然の素直さ 自然の親しさ 親しさの深まった 少女と少年の 永遠をねがう二人の 愛 親しみ 子供から大人へ 成長してゆく ありのままの 素直なねがい りんどうと野ぎくと 花にたとえて りんどうの花しか知らぬ 触れもせぬ 野菊の花の りんどうの花しか知らぬ 子供をみもごり 死んだ方がいいのです 死んだ手に りんどうの花と手紙とにぎられていた ●

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