Vol. 2May 2026

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附「歌へる日まで」

牧野信一

R村々長殿 御手紙拝見いたしました。御督促にあづかるまでもなく「R村々歌」に就きましては小生夢にも忘るゝことなく出京以来もその構想に寧日なき有様にて没頭いたして居ります。然して、漸く、その登場歌章の大半の草稿を終り、今はこれに三脚韻律を踏ませつゝ、二十聯にとりまとむべく苦行中でございます。今月中には、この上合唱歌章及び哀悼歌章をも完成して、これを土産の最たる

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附記(夜見の巻)

牧野信一

本篇は昭和八年十一月ごろの作であり、作者にとつては寧ろ近作の部に属するものであるが、既にしてこの作を前後とする四・五年間の一連の作品は作者にとつての小時代を劃して歴然たる過去の夢である。当時わたしは、空想を現実らしく描くといふ創作上の第一義に拘泥するいとまを無視せずには居られなかつた。もと/\無から咲かせた花を、何の為に在り得べき種目の花と擬さねばならぬかと

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ゴルバートフ「降伏なき民」

宮本百合子

ゴルバートフ「降伏なき民」 宮本百合子 最近のソヴェト文学をよみたくて読めなかった日本の読者に、ゴルバートフの「降伏なき民」はうれしいおくりものであった。今年の初め、シーモノフ、アガーポフ、クドレワートウィフ等と一緒にゴルバートフも暫く東京に来ていた。ゆたかな声量と生粋のソヴェト人の歌好きのこころで「前線通信員」の活気横溢する歌をうたう、ゴルバートフ。一九一

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陰火

太宰治

二十五の春、そのひしがたの由緒ありげな學帽を、たくさんの希望者の中でとくにへどもどまごつきながら願ひ出たひとりの新入生へ、くれてやつて、歸郷した。鷹の羽の定紋うつた輕い幌馬車は、若い主人を乘せて、停車場から三里のみちを一散にはしつた。からころと車輪が鳴る、馬具のはためき、馭者の叱咤、蹄鐵のにぶい響、それらにまじつて、ひばりの聲がいくども聞えた。 北の國では、

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「陰獣」その他

平林初之輔

江戸川乱歩氏の「陰獣」は、同氏の久し振りに発表した作であったのと、同氏独特の念入りな、手のこんだ、寸分のゆるみもない作品であったとのために、探偵小説の作者仲間では、異口同音に近い好評を博したようである。私も増刊〔『新青年』〕の分を読んで、九月号は雑誌が着くとすぐに旅に出たので、旅先で買って読み、十月号の分も雑誌が着くと真っ先に読んだ。その点で「陰獣」は完全に

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陰翳礼讃

谷崎潤一郎

○ 今日、普請道楽の人が純日本風の家屋を建てて住まおうとすると、電気や瓦斯や水道等の取附け方に苦心を払い、何とかしてそれらの施設が日本座敷と調和するように工夫を凝らす風があるのは、自分で家を建てた経験のない者でも、待合料理屋旅館等の座敷へ這入ってみれば常に気が付くことであろう。独りよがりの茶人などが科学文明の恩沢を度外視して、辺鄙な田舎にでも草庵を営むなら格

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陳宝祠

田中貢太郎

陳宝祠 田中貢太郎 杜陽と僕の二人は山道にかかっていた。足がかりのない山腹の巌から巌へ木をわたしてしつらえた桟道には、ところどころ深い壑底の覗かれる穴が開いていて魂をひやひやさした。その壑底には巨木が森々と茂っていて、それが吹きあげる風に枝葉をゆうらりゆらりと動かすのが幽に見えた。 壑の前方の峰の凹みに陽が落ちかけていた。情熱のなくなったような冷たいその光が

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陳言套語

津田左右吉

僕のような融通のきかない学究がこういう雑誌に書くということは、甚だ不似合な仕わざであろうと思う。老の繰言の如き、生彩のない、調子の弱い、従って読者に何の印象をも与えない、贅言をくどくどと列べ立てるのが癖だからである。しかし、是非にということであるから、悪文の見本のつもりで書くことにする。ことわるまでもないことであるが、奇抜な考をいうのでも新しい説を述べるので

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陶器個展に観る各作家の味

北大路魯山人

本秋も都合よく、河井寛次郎氏の年中行事である東京高島屋に於ける製作展を観ることが出来た。氏の仕事も近来次第に磨きがかかり、段々とこなれて、その美しさは楽々と増して行くのが目立ち、小生などにも教えられるところが少なくなかった。 しかし、人間の持ち前というものは、どう仕様もないもので、河井さんは河井さん、浜田さんは浜田さん、富本さんには富本さんと、各々その人々の

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陶器鑑賞について

北大路魯山人

大正八、九年ごろという古い話になりますが、こういう話がありました。当時の入沢医学博士から私が直接に聞いたことでありますが、博士がある時、図らずも大河内正敏理博と東海道西下の汽車に同乗したことがあります。その際のこと、ちょうどいい機会と医博は思いついたのでしょう、「この車中に於て一、二時間の間に、陶器鑑賞に関して素人の僕にわかる様に話して貰えないか」と、日頃の

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陶磁印六顆を紹介する

北大路魯山人

磁印、陶印取り混ぜ六顆をご紹介する。 中国の青磁と染付、朝鮮の高麗青磁、日本の古瀬戸、この中、中国と朝鮮はすでにお馴染みかも知れないが、古瀬戸の陶印に至っては珍とする人があろう。 私に篆刻の研究及び心得があるという理由で、大きな顔して批判するのではないが、私の観るところ、この中日本製印が一番芸術的に優れていると思う。固より印材も篆刻も共にだ。毎度いうことだが

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陶芸家を志す者のために ――芸術における人と作品の関係について――

北大路魯山人

私に陶器に関する講演をせよとのご依頼を受けましたが、何をどう申し上げてよいか困っております。 この学校ではどんなご希望をもっておられるか、何を期待しておられるか、日本と米国の習俗が全く相違していますので、どういうことを語るべきか、実は当惑しているところです。 殊に私の作っています陶器は、日本に於ても唯一人独得の行き方をしており、作柄も類例のないような変り方で

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陸判

田中貢太郎

陸判 田中貢太郎 陵陽の朱爾旦は字を少明といっていた。性質は豪放であったが、もともとぼんやりであったから、篤学の士であったけれども人に名を知られていなかった。 ある日同窓の友達と酒を飲んでいたが、夜になったところで友達の一人がからかった。 「君は豪傑だが、この夜更けに十王殿へ往って、左の廊下に在る判官をおぶってくることができるかね、できたなら皆で金を出しあっ

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陸軍士官から

岸田国士

日清日露両戦役をはさんで、軍人の家に生れ育つた私は、「大きくなつたら何になる」といふ問題を、至極簡単に考へてゐた。友達が中学にはひる頃、私は幼年学校にはひり、それから十年間、全く、世の中と没交渉な生活を送つた。自分の気質が、軍人には向かないといふことを、そろそろ気づきはじめる時代には、軍人勅諭の五ヶ条が、頭にしみ込んでゐた。さういふ生活のなかで、私は、仏蘭西

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陽に酔つた風景

牧野信一

鶴子からの手紙だつたので彼は、勇んでY村行の軽便鉄道に乗つた。勇んで――さうだ、彼は、ちよつと自分の姿を傍から眺めて見ると、あまり勇みたち過ぎてゐる自分が癪に触るほどだつた。 何とまあ自分は気の毒な慌て者だつたことだらう――彼は辛うじて間に合つた汽車の窓に腕をのせて、真盛りの莱畑を眺めながら、あんな手紙位ゐでこんなにも一個の人間が有頂天になるものか! などゝ

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階段

海野十三

階段 海野十三 1 出来ることなら、綺麗に抹殺してしまいたい僕の人生だ。それを決行させては呉れない「彼奴」を呪う。「彼奴」は何処から飛んできて僕にたかったものなんだか、又はもともと僕の身体のうちに隠れていたものが、或る拍子に殻を破ってあらわれ出でたものなんだか判然しないのであるが、兎も角も「彼奴」にひきずられ、その淫猥らしい興奮を乗せて、命の続くかぎりは吾と

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階段

牧野信一

川瀬美奈子――。 さういふ署名の手紙が久保に、はじめて寄せられたのは、三年も前のことである。久保は、手紙を書くのが不得手だつたので、まつたく返事を出したことはなかつたが(それに、何時のでもそれは返事を必要とする手紙ではなかつたからでもあるが――。)必ず一ト月のうちには一二度宛、自分の消息やら久保の作品に寄せる好意の言葉などを誌してよこすのが常だつた。 久保は

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随想

上村松園

随想 上村松園 時代の移り変わりは妙なものである。そのころは新しく奇異の思いにも感じられなかったことが、後にふり返ると滑稽にも思われる。 私は明治二十年、十三歳の頃京都の画学校に入ったが、その時分の学校は今の京都ホテルの処にあって、鈴木松年先生が北宗画の教授をされていた。半季ほどたってこの学校に改革が起こって松年先生は学校をやめられた。そんなことでその儘私も

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モンテーニュ随想録 01 はしがきに代えて――モンテーニュとの六十年――

関根秀雄

初めてモンテーニュの名を知ったのは大正五年東大仏文研究室におけるエック先生の講義によってであった。聴講者は鈴木信太郎、須川弥作、岸田國士、井汲清治、それに私の五人、当時「仏文はじまって以来の盛況」と言いはやされた。前年は新入生皆無、三年生に山本直文唯一人という時代のことである。私はその名を知っただけでボンヤリしていたが、鈴木君の方は当時刊行中の〈ボルドー市版

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モンテーニュ随想録 02 モンテーニュの知恵

関根秀雄

モンテーニュの『随想録』を理解する上に、先ず第一に知っていなければならないことは、彼がどのように相対主義者であったかということであろう。私は次に様々な場合をあげて、彼がいかなる場合にも常に相対主義者であったこと、それが彼の知恵にも通ずるし、またそれが『随想録』の愛すべきパラドクスともなっていることを、示そうと思う。 先ず第一に彼が個人主義を説いている場合につ

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「モンテーニュ随想録」(関根秀雄君訳)

岸田国士

「モンテーニュ随想録」(関根秀雄君訳) 岸田國士 私は本年度文芸懇話会賞候補作品として、関根秀雄訳「モンテーニュ随想録」を推薦したものの一人である。 同じく本書を推薦した他の会員諸氏は、何れもそれぞれの理由をもつてゐる筈だが、私は特に委員会の指命に従つて、自分一個の推薦理由を公表することにする。 一、文芸懇話会賞は翻訳にも与へ得る規定がある以上、毎年といふわ

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