香気の尊さ
佐藤垢石
香気の尊さ 佐藤垢石 釣り人が、獲物を家庭へ持ち帰って賑やかな団欒に接した時くらいうれしいことはないであろう。殊に、清澄な早瀬で釣った鮎には一層の愛着を感じる。メスのように小さい若鮎でも粗末にはできないのである。そこで釣った鮎の取り扱いとか始末とかについて書いてみたいと思う。 鮎は釣ったならば、水に浸けた魚籠に入れて生かしておき帰るときに上げるか、大きなもの
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佐藤垢石
香気の尊さ 佐藤垢石 釣り人が、獲物を家庭へ持ち帰って賑やかな団欒に接した時くらいうれしいことはないであろう。殊に、清澄な早瀬で釣った鮎には一層の愛着を感じる。メスのように小さい若鮎でも粗末にはできないのである。そこで釣った鮎の取り扱いとか始末とかについて書いてみたいと思う。 鮎は釣ったならば、水に浸けた魚籠に入れて生かしておき帰るときに上げるか、大きなもの
牧野信一
窓帷をあけて、みつ子は窓から庭を見降した。やはらかな朝の日射が、ふかぶかと花壇の草花にふりそゝいでゐる。 姉はカーネーシヨンの花が好きだつた。花壇の隅に美しく咲き誇つてゐる桃色の花を眺めながら、みつ子は姉のことをしきりに想ひつゞけた。きらきらと映へた外光はもの懐しく流れてゐる。 姉様がお嫁に行つてしまつてから、もう一年たつたのだ。みつ子は今更のやうにそんなこ
水野葉舟
香油 水野葉舟 一 その日は十二三里の道を、一日乗り合い馬車に揺られながらとおした。やっとの思いで、その遠野町に着いたころは、もうすっかり夜が更けていた。しかも、雪が降りしきっていて、寒さが骨に沁む。―― 三月に入ってからだったが、北の方の国ではまだ冬だ。 やっとその町に入ったころは、町はおおかた寝静まっていた。……暗い狭い町の通りが、道も家も凍りついたよう
佐藤垢石
香熊 佐藤垢石 一 このほど、友人が私のところへやってきて、君は釣り人であるから、魚類はふんだんに食っているであろうが、まだ羆の肉は食ったことはあるまい。もし食ったことがないなら、近くご馳走しようではないかというのだ。 そうかそれは耳よりな話だ。馬の肉、牛の肉、豚の肉は世間の誰でも食っているから、これは日本人の常食だ。ところで僕は若いときからいかものが好きで
北原白秋
香ひの狩猟者 北原白秋 1 幽かに香ひはのぼる。蕾のさきが尖つてゐるのは内からのぼる香ひをその頂点でくひとめてゐるのだ。花がひらいた時は香ひもひらいてしまふ。残りの香のみの花を人は観てゐる。 2 開いた朝顔が萎へると蕾のやうになる。それもちぢれて蕾の巻いた尖りは喪はれ、香ひのみか色までが揉みくちやだ。その上に落ち散つた象を紙巻煙草の吸殻のやうだといへば乾く。
佐藤垢石
香魚と水質 佐藤垢石 食事が、必要から好厭に分かれ、さらに趣味にまで進んできたのは、既に五千年の昔であるのを古代支那人が料理書に記している。必要と好厭は、動物の世界にある共通の事実だが食品を耽味するという道楽は、人間ばかりが持っている奢りらしい。 新秋の爽涼、肌を慰むるこの頃、俄に耽味の奢りが、舌端によみがえりきたるを覚える。けだし古来、生は食にあるか性にあ
佐藤垢石
香魚の讃 佐藤垢石 一 緑樹のかげに榻(こしかけ)を寄せて、麥酒の満をひく時、卓上に香魚の塩焙があったなら涼風おのずから涎の舌に湧くを覚えるであろう。清泊の肉、舌に清爽を呼び、特有の高き匂いは味覚に陶酔を添えるものである。 今年は、鮎が釣れた。十数年振りで鮎の大群が全国の何れの川へも遡ってきたのである。青銀色の滑らかな肌を、鈎先から握った時、掌中で躍動する感
佐左木俊郎
馬 佐左木俊郎 伝平は子供の頃から馬が好きだった。 「お父う! 俺家でも馬一匹飼わねえが? どんなのでもいいがら。」 伝平はそう口癖のように言うのだった。 「馬か? 濠洲産の駒馬でもなあ。早ぐ汝が稼ぐようになって飼うさ。」父親はいつもそう言うだけであった。 「馬一匹飼って置くといいぞ。堆肥はどっさり採れるし、物を運ぶのにも楽だし……」 「そんなごとは汝に言わ
グリムヤーコプ・ルートヴィッヒ・カール
あるお百しょうが、とても よくはたらく 一とうの馬をもっていました。 ところが、馬は、だんだん 年をとって、とうとう はたらくことができなくなりました。すると、しゅじんは、たべものをやるのが、いやになりました。 「おまえは、もう、やくにはたたなくなった。それは、わしにも よくわかっているが、しかし わしは、おまえを かわいくおもっている。だから もしも、おま
小川未明
二郎は、ある日、外に立っていますと、びっこの馬が、重い荷を背中につけて、引かれていくのでありました。 二郎は、その馬を見て、かわいそうに思いました。どんなに不自由だろう。そう思うと、達者な馬は、威勢よく、はやく歩いていくのに、びっこの馬はそれに負けまいとして、汗を流していっしょうけんめいに歩いているけれど、どうしてもおくれがちになるのでありました。 「このび
牧野信一
二度つゞけて土曜日が雨だつた。――三木は、雨だつてむしろ出かけたかつたが、青木からの誘ひの手紙に――よく晴れたこの次の土曜日を待つ――といふ念がおしてあるので、二度の日曜日をつゞけて全く孤独の安息で暮した後だつたせいか、今朝起きて、麗らかな空を見出した時には、思はず、 「やあ、愉快だな!」 と、中学生の遠足の日の朝の心地を思ひ出しながら、つぶやいた。「それに
徳冨蘆花
車上 六月四日、エルサレムを立ち、サマリヤを経てガリラヤに赴かんとす。十字架よりナザレの大工場へ、即ち四福音を逆に読むなり。 エル・ビレエにてエルサレムに最後の告別をなし、馬車はいよ/\北へ走る。車中には案内者一名載せたり。名はフィリップ・ジヤルルック三十八九、シリヤ人にしてクリスチアンなり。此馬車道は、八年以前独逸皇帝が土耳其領内遊歴の折修繕したるものとか
岸田国士
阪中正夫君の『馬』が改造に当選したといふ話を聞いて、私は「不思議」なやうな、「当り前」のやうな気がした。 阪中君は、凡そ懸賞当選に不向な、いはば山ツ気のない作家であり、同時に、当選するしないに拘はらず、当選のレベルを遥かに越えた作品を、既にもう幾つか発表してゐるからだ。 六七年も前から、戯曲一本道を、倦まず撓まず歩いて来てゐる彼は、世が世ならば――といふ意味
織田作之助
馬地獄 織田作之助 東より順に大江橋、渡辺橋、田簑橋、そして船玉江橋まで来ると、橋の感じがにわかに見すぼらしい。橋のたもとに、ずり落ちたような感じに薄汚い大衆喫茶店兼飯屋がある。その地下室はもとどこかの事務所らしかったが、久しく人の姿を見うけない。それが妙に陰気くさいのだ。また、大学病院の建物も橋のたもとの附属建築物だけは、置き忘れられたようにうら淋しい。薄
桜間中庸
馬場は四角だ 四角に歩め 足並そろへて ホイ トロツト トロツト 青い空 馬場は四角だ 四角に馳けろ たてがみユサユサ ホイ ギヤロツプ ギヤロツプ 雲がとぶ ●図書カード
坂口安吾
馬庭念流のこと 坂口安吾 剣法というのは元来貴人に依存してきたもので、剣士は将軍や大名に召抱えられることを目標に修業に励んだものである。 ところがここにただ一ツ在野の剣法というものがあった。それが馬庭念流だ。 代々草ぶかい田舎に土着して、師弟ともに田を耕しつつ先祖からの剣法を修業し、官に仕えることも欲せず、名利ももとめない。さればといって剣を力に、徒党をくん
小川未明
北の海の方にすんでいたかもめは、ふとして思いたって南の方へと飛んできました。途中でにぎやかな街が下の方にあるのを見ました。そこにはおほりがあって、水がなみなみと青く、あふれるばかりでありましたから、しばらくそこへ下りて暮らしました。 この街は、この国の一番の都でありまして、人々はそのほりの中にすんでいる魚を捕ることができなく、また下りている鳥を撃つことができ
幸田露伴
馬琴の小説とその当時の実社会 幸田露伴 皆さん。浅学不才な私如き者が、皆さんから一場の講演をせよとの御求めを受けましたのは、実に私の光栄とするところでござります。しかし私は至って無器用な者でありまして、有益でもあり、かつ興味もあるというような、気のきいた事を提出致しまして、そして皆さんの思召に酬いる、というような巧なる事はうまく出来ませぬので、已むを得ず自分
宮沢賢治
馬行き人行き自転車行きて しばし粉雪の風吹けり 絣合羽につまごはき 物噛むごとくたゝずみて 大売り出しのビラ読む翁 まなこをめぐる輻状の皺 楽隊の音からおもてを見れば 雲は傷れて眼痛む 西洋料理支那料理の 三色文字は赤より暮るゝ 馬が一疋東へ行く 古びた荷繩をぶらさげて 雪みちをふむ 引いて行くのはまだ頬の円いこども 兵隊外套が長過ぎるので 繩でしばつてたご
堀辰雄
「馬車」は横光利一さんのもつとも特異な作品の一つである。横光さんの作品の基底には、いつも humain なものと surhumain なものとがふしぎに交錯してゐるが、それがどちらがどちらだか分らないくらゐな點にまで達するとき、その作品は大概成功してゐる。ことに「馬車」においてはその效果がいちじるしい。物語は、先づ、半陰影のうちに展開する。その無意味なやうな
堀辰雄
「やあ綺麗だなあ……」 埃りまみれの靴の紐をほどきながら、ひよいと顏を上げた私は、さう思はずひとりごとを言つた。 崖ばらに一かたまり、何んの花だか、赤やら白やら咲きみだれてゐるのが、夕闇を透かしながらくつきりと見えたのである。 「その躑躅でございませう? ――本當に今が見頃でございます……」 ひとりごとのやうに言つた私に、さう愛想よく答へたのは、一番末の妹ら
亀井勝一郎
北海道の花といえば、誰でもまず鈴蘭を思い出すだろう。私の小学生中学生時代には、湯ノ川のトラピスト女子修道院の、はるか前方の丘はすべて鈴蘭畑であった。自由にそこへ行って、好きなだけ摘んでこれたが、いまはどうなっているか知らない。消滅してしまったのではなかろうか。 しかし鈴蘭よりもっと私の好きな花は馬鈴薯の花である。函館の東部、湯ノ川から二十町ほど歩いてゆくと、
中島葉那子
カマドガヤシの白い穂が 雪の様に飛ぶ十一月の野良で 仁平はおっかあや娘と仕事着の尻、枯っ風にひったくられ乍ら 馬鈴薯選別して俵につめていた。 もうこうなっては、安くとも高くとも売ってしまわねばシバレテしまう。 雲間を飛ぶ淡い月の光をあてに 空腹にゆるんだモンペのひも〆なおして さて、今夜もよなべ、 疲れて這う様にして小屋に帰り、 黒い麦飯とナッパ汁かっ込んで
原民喜
東京から叔父が由三の家を訪ねて来たのは、今度叔父も愈々墓地を買ったのでそれの自慢のためだった。叔父は由三の灰白な貌と奇怪なアトリエを見較べながら、そこらに並んでゐるカンバスがすべてまっ白なのに驚いて、 「君は絵を描くと云ひながら、何も描ててはゐないぢゃないか、さう云ふ精神で出世が出来るか、それに君はこんな結構な静かな海辺に居りながら恐しく顔色がわるい、どうし