中谷宇吉郎
中谷宇吉郎 · Tiếng Nhật
Chua co ban dich. Yeu cau dich de day nhanh tien do.
中谷宇吉郎 · Tiếng Nhật
Toàn văn
Ban goc (Tiếng Nhật)
今、日本に來ている『ファンタジア』は、半ばシネマスコープ的に改變してあるが、本質的には、十數年前にディズニィが作った、初めの『ファンタジア』と、同じものである。
この映畫が何時作られたか、正確な年代は、調べればすぐ分ることであるが、十數年前に出來たことは確かである。太平洋戰爭の最中に、南方で手にいれた鹵獲品の中に、この『ファンタジア』や『ガリバーの旅行記』などがあった。
そのうち『ガリバー』の方は、試寫を見たが、『ファンタジア』は、遂に見る機會がなかった。あまりにも高度な科學と技術とが盛り込まれているので、恐米感を起させる虞れがあるということになって、何處かの金庫の奧深く、しまい込まれたのである。
考えて見れば、可笑しな話で、『ファンタジア』を作った科學と技術とは、飛行機を造るにも、潜水艦を造る場合にも、使われていたわけである。「耳をおおうて鈴を盜む」という中國の古い諺があるが、それを二十世紀の今日、地で行った恰好である。
まあそういう話はどうでもよいとして、今度『ファンタジア』を初めてみて、今更ながら、ディズニイに對する認識を強くした。何といっても、十數年の年月の隔りは爭われないもので、『ピーター・パン』などと較べてみると、やはり『ピーター・パン』の先に出來た作品という氣はする。しかし稀世の天才といわれるチャップリンの『モダン・タイムス』が、今日辛うじて生命を保ち得るという程度に較べたら、『ファンタジア』は、まことに偉大なる作品である。
藝術としての映畫は、他の藝術に比して、本質的といっていいほどの著しい差がある。それは壽命が甚しく短い點である。この話は、映畫の本質論になるので、此處ではこれ以上ふれないことにする。しかしその點を考慮に入れてみると、『ファンタジア』が今日新しい生命を得て、立派に新作の名畫に伍して、何等遜色を見せていない點は驚異に値する。もちろん「寫眞」ではなく、繪を使った點を勘定に入れての話である。
『ファンタジア』では、地球の創成を夢幻化した『春の祭典』が有名であるが、私はそれよりも最後の編、ムソルグスキイの『禿山の一夜』と、シューベルトの『アヴェ・マリア』とにひどく感心した。
『禿山の一夜』は、惡靈の象徴であって、荒廢した墓地から舞い出る「浮かばれない亡靈」の描寫がものすさまじい。ディズニイは「死」について考えたことのある人のような氣がする。技術的には、この場面では、南畫の手法がしばしば使われている點が、非常に面白かった。本當に力強いタッチの表現には、墨繪の技法が一番適しているようである。ディズニイが誰かの墨繪を研究したか、あるいは彼の獨創か、一寸興味のある問題である。
●図書カード
中谷宇吉郎
Trang thai ban dich
Đang chờDang nhap de yeu cau dich.
Cac sach khac cua tac gia nay
Cau hoi thuong gap
Yes — completely free. This book is in the public domain, so Pagera offers the full text without payment or account requirement. Pagera is funded by advertising.
Doc mien phi
Đọc ngay không cần đăng ký. Tạo tài khoản miễn phí để có thêm sách và tính năng.