学変臆説
内藤湖南
學變臆説 内藤湖南 天運は循環するか、意ふに其の循る所の環は、完全なる圓環にあらずして、寧ろ無窮なる螺旋形を爲す者たらんか、何となれば一個の中心點より開展して三のダイメンシヨンある空間を填充すべき一條線は、須らく無限に支派して螺形に纏繞する所の者たらざるべからざれば也。地球は三百六十五日五時餘を以て太陽を一周す、已に一周し畢れば、必ずや再び故路を行かざるべか
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内藤湖南
學變臆説 内藤湖南 天運は循環するか、意ふに其の循る所の環は、完全なる圓環にあらずして、寧ろ無窮なる螺旋形を爲す者たらんか、何となれば一個の中心點より開展して三のダイメンシヨンある空間を填充すべき一條線は、須らく無限に支派して螺形に纏繞する所の者たらざるべからざれば也。地球は三百六十五日五時餘を以て太陽を一周す、已に一周し畢れば、必ずや再び故路を行かざるべか
今野大力
教壇もない 机もない 椅子もない 教師の握る鞭もない この学校には粗末なベットがあり ベットは二十幾つも並んで ベットの上には 自分の肺をくさらせた青年がねている 一九三四年の日本の東京で 貧窮に 過労に 困苦に 生身の肺を病菌に喰わせて 遂に いく月も いく年も ここのベットにねたきりとなる。 青白い顔の生徒達は 食慾のおとろいた腹に うすかゆやじゃがいも
林芙美子
ひらめの学校 林芙美子 ひらめの学校の女の校長先生は、このごろお年をとって眼鏡をかけました。とても大きい眼鏡なので、生徒はびっくりしていました。 「まア、何て大きい眼鏡でしょうねえ。あれでは陸の上まで見えるでしょうよ。此の間、校長会議で竜宮へいらっした時、竜宮の街で、あの眼鏡を貰っていらっしゃったンですって。」 生徒たちは、海の底の砂地に腹這ってそんな話をし
正宗白鳥
私には子供がないから、學校の撰擇、入學の困難について心を惱ましたことがない。そして、私自身は、教育制度の混沌曚昧たりし時代に成長したお蔭で、入學にも卒業にも、試驗の苦しみなんかは、寸毫も經驗しなかつた。たゞ小學校時代に、小さな弱い身體で體操をやらされた時だけ學校苦を感ぜさゝれた。そして早くから官立を窮屈な所と厭はしく思つてゐた。當時修學慾に燃える青少年の憧憬
岸田国士
学校劇 其の他 岸田國士 文部大臣が学生の芝居を禁じたことは、その動機に於いて僕は大賛成である。と云ふのは、従来行はれてゐるやうな「学校劇」は、大体に於いてその鼓吹者が信じてゐるやうな芸術的乃至学術的欲求から生れたものではなく、寧ろそれとは反対な卑俗極まる趣味の発露に過ぎないからである。 試みに、所謂学生劇なるものゝ本体を突き止めて御覧なさい。少し「頭の佳い
佐野友三郎
学校教育における図書館の利用 佐野友三郎 一 「学校の教育は如何に完備し充実すとも、米国のごとき国柄に在りて民衆の需要を充たすに足るべしとは想われず。されば在学中も、卒業後も、不断の読書をもってこれを補充せざるべからず。この補充的読書は、すべての民衆に、無料なる選択宜しきを得たる集書あるにあらざれば充分なる能わず、指導もまた能く行わるべきにあらず。」 「カー
小川未明
ある、小学校の運動場に、一本の大きな桜の木がありました。枝を四方に拡げて、夏になると、その木の下は、日蔭ができて、涼しかったのです。 子供たちは、たくさんその木の下に集まりました。中には、登って、せみを捕ろうとするものがあれば、また、赤くなったさくらんぼを取ろうとするものもありました。 桜の木は、ちょうどお母さんのように、子供たちのするままに委していました。
福沢諭吉
一、世に為政の人物なきにあらず、ただ良政の下に立つべき良民乏しきのみ。為政の大趣意は、その国の風俗、人民の智愚にしたがい、その時に行わるべき最上の政を最上とするのみ。ゆえにこの国にしてこの政あり、かの国にしてかの政あり。国の貧弱は必ずしも政体のいたすところにあらず。その罪、多くは国民の不徳にあり。一、政を美にせんとするには、まず人民の風俗を美にせざるべからず
尾崎士郎
その年(大正六年)、二十歳になったばかりの西方現助は、ある日の午後、寄宿舎の門を出て鶴巻町の大通りへぬけようとする曲り角で彼の先輩である東山松次郎に会った。東山は浴衣を着て両袖を肩にたくしあげている。彼は苦学力行の士であった。政治科在学中から「青年雄弁」という雑誌を経営し、自分でその社長になっている。小柄でいつも色艶のいい頬をしていた。――精悍で、キビキビし
倉田百三
一 予言者のふたつの資格 日蓮を理解するには予言者としての視角を離れてはならない。キリストがそうであったように、ルーテルがそうであったように、またニイチェがそうであったように、彼は時代の予言者であった。普通の高僧のように彼を見るのみでは、彼のユニイクな宗教的性格は釈かれない。予言者とは法を身に体現した自覚をもって、時代に向かって権威を帯びて呼びかけ、価値の変
戸坂潤
最近私は学生や青年の問題について、書くことを注文されたり意見を徴されたりすることが非常に多い。何が問題になっているのだろうか。何かが見えない動機となってそういう問題を提出させるに相違ない。その匿れた暗礁は何か。 ◇ 学生にとって最近最も切実な関心となっているものは第一に、就職と入学試験とである。前者は専門学校、大学の学生生徒の生活をスッかり引き浚って行って了
倉田百三
一 倫理的な問いの先行 何が真であるかいつわりであるかの意識、何が美しいか、醜いかの感覚の鈍感な者があったら誰しも低級な人間と評するだろう。何が善いか、悪いか、正不正の感覚と興味との稀薄なことが人間として低卑であることはそれにもまして恥じねばならぬことである。人の道、天の理、心の自律――近くは人間学的倫理学の強調するような「世の中の道」にまでひろがるところの
恒藤恭
△ 菊池寛は明治四十三年夏のはじめに一高の入學試驗をうけたが、私もやはりその時の受驗生の一人だつた。身體檢査の際に、みんなが猿又一つのまる裸になつて、一列にならびながら自分の順番を待つてゐるとき、丁度私のすぐ前に同君が立つてゐた。その頃から同君は年齡よりはずつとふけて見える顏つきだつたが、若い女のやうな、むつちりした曲線的な肉つきをしてゐる癖に、四角張つた、
倉田百三
一 学窓への愛と恋愛 学生はひとつの志を立てて、学びの道にいそしんでいるものである。まず青雲を望み見るこころと、学窓への愛がその衷になければならぬ。近時ジャーナリストの喧声はややもすれば学園を軽んじるかに見える。しかし今日この国に必要なのはむしろ新しき、健やけきアカデミーの再建である。学生にして学窓への愛とほこりとを持たぬことは自ら軽んじるものである。もとよ
倉田百三
一 書とは何か 書物は他人の労作であり、贈り物である。他人の精神生活の、あるいは物的の研究の報告である。高くは聖書のように、自分の体験した人間のたましいの深部をあまねく人類に宣伝的に感染させようとしたものから、哲学的の思索、科学的の研究、芸文的の制作、厚生実地上の試験から、近くは旅行記や、現地報告の類にいたるまで、ことごとく他人の心身の労作にならぬものはない
牧野信一
氷嚢の下 旅まくら 熱になやみて風を聴く とり落した手鏡の 破片にうつる いくつものわが顔 湖はひかりて ふるさとは遠い * 夜をこめて吹き荒んだ風が、次の日もまたその次の日も絶え間もなく鳴りつづけてゐるといふ――そのやうな風に私はこの町ではぢめて出遇つた。硝子戸を隔てて軒先から仰ぐ灰色の空に花びらが舞ひあがつて雪のやうである。まくらもとに迷ひこんで来たひと
戸坂潤
学界というものをごく狭く理解して、研究室や研究所に直接関係がある世界のことだとすると、私は今日では全く学界の外の人である。私は研究所の嘱託でも研究員でもなければ、大学の教室の助手でも助教授でもない。私は所長や教授会の御気嫌をうかがったり、主任教授の命じた結果を出すような研究をやったり、論文を捏ね上げて学位を取ったり、する必要はない。従って誰が自分より先に教授
朝永三十郎
學究漫録 朝永三十郎 是れは實驗の結果ではなくして、唯、學究的の觀察に過ぎぬのであります。 一 苦に對する三種の態度 苦を脱するために苦に對する我々の態度に大凡三種の別があるだらうと思はれます。第一は苦をあきらめるのである。第二は苦と健鬪するのである。第三は苦を樂觀するのである。 途中で不意に風雨に遭ふ。傘はなし。雨宿りすべき家もない。立寄るべき樹陰もない。
津田左右吉
学問上の閲歴のようなものを書けという『思想』の編輯部からの話があった。これまでもあちこちから同じことをしばしば勧められたが、いつも書く気になれなかった。人に語るほどの閲歴もないし、久しい前のことは記憶もはっきりせず、その上に、じぶんのことを書くのは書きにくくもあるので、筆をとりかねたのである。それに、ぼくがいくらか学問上のしごとをしたとするにしても、その大部
夏目漱石
学者と名誉 夏目漱石 木村項の発見者木村博士の名は驚くべき速力を以て旬日を出ないうちに日本全国に広がった。博士の功績を表彰した学士会院とその表彰をあくまで緊張して報道する事を忘れなかった都下の各新聞は、久しぶりにといわんよりはむしろ初めて、純粋の科学者に対して、政客、軍人、及び実業家に譲らぬ注意を一般社会から要求した。学問のためにも賀すべき事で、博士のために
福沢諭吉
学者安心論 福沢諭吉 学者安心論 店子いわく、向長屋の家主は大量なれども、我が大家の如きは古今無類の不通ものなりと。区長いわく、隣村の小前はいずれも従順なれども、我が区内の者はとかくに心得方よろしからず、と。主人は以前の婢僕を誉め、婢僕は先の旦那を慕う。ただに主僕の間のみならず、後妻をめとりて先妻を想うの例もあり。親愛尽きはてたる夫婦の間も、遠ざかればまた相
宮沢賢治
学者のアラムハラドはある年十一人の子を教えておりました。 みんな立派なうちの子どもらばかりでした。 王さまのすぐ下の裁判官の子もありましたし農商の大臣の子も居ました。また毎年じぶんの土地から十石の香油さえ穫る長者のいちばん目の子も居たのです。 けれども学者のアラムハラドは小さなセララバアドという子がすきでした。この子が何か答えるときは学者のアラムハラドはどこ
斎藤茂吉
孫 斎藤茂吉 私のところに只今孫が二人居る。一人は昭和二十一年四月生れ、次ぎは昭和二十三年二月生れである。それゆゑ大きい方は今年数へ年五つになるわけだが、満で算へると年が減つて三つになり、小さい方は一つといふことになる。(この満で算へる新しい約束は、万国同等で、まことに結構である)。 この満で算へる計算の方法は、まだ馴れないので、ここしばらくは不便のやうにお
正宗白鳥
大至急話したいことがあるから、都合のつき次第早く來て下さいといふ母方の祖母さんの手紙を見ると、お梅はどんな大事件かと、夕餐の仕度を下女に任せて、大急ぎで俥に乘つて、牛込から芝の西久保まで驅け付けた。潛り戸を入つて敷石傳ひに玄關へ行くまで、耳を澄ましたが、家の中は何時ものやうにひつそりしてゐた。 一聲案内を乞うたが、誰れも出て來ないので、お梅は遠慮なしに上つて