「しゞま」から「ことゝひ」へ
折口信夫
「しゞま」から「ことゝひ」へ 折口信夫 われ/\の国の宗教の歴史を辿つて、溯りつめた極点は、物言はぬ神の時代である。さうした神の口がほぐれかけて、こゝに信仰上の様式は整ひはじめた。歴史も、文学も、其萌しは此時以後に現れたのである。発生期に於ける日本文学を論じる私の企ても、「神語」のはじまつた時を発足点としなければならぬ。 神語を以て、なぜ文学の芽生えと見るか
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折口信夫
「しゞま」から「ことゝひ」へ 折口信夫 われ/\の国の宗教の歴史を辿つて、溯りつめた極点は、物言はぬ神の時代である。さうした神の口がほぐれかけて、こゝに信仰上の様式は整ひはじめた。歴史も、文学も、其萌しは此時以後に現れたのである。発生期に於ける日本文学を論じる私の企ても、「神語」のはじまつた時を発足点としなければならぬ。 神語を以て、なぜ文学の芽生えと見るか
岸田国士
今度の銓衡では、出席者のほとんど全部が、この「広場の孤独」を第一に推し、私もやゝ意を強くすることができた。といふのは、これまで屡々、私が特に推したものが選に漏れてゐるからである。 この作品は、既に識者の注目を浴び世評もおほかた定まつてゐると聞いた。芥川賞の出しおくれといふ観もあるが、それは決して作者の不名誉にはならぬと思ふから、遠慮に及ばぬであらう。 前作「
岸田国士
外国作品の翻訳を思いたつのには、いろいろの名目と動機があり、また、その翻訳の態度にもさまざまな流儀と型がある。一概にどれが正しく、どれが好ましいともいえぬが、すくなくとも、わが辰野隆氏のいくつかのフランス戯曲の翻訳、わけても、今度の「フイガロの結婚」は、月並な名目と動機を超え、すべての流儀と型とを絶した、ほとんど秘伝と銘をうちたい辰野家専売の貴重訳である。
岸田国士
舞台は麺麭屋の店に続いた茶の間であるが、正面は障子の心もちにて全体に白幕。――プロセニウムに近く、炬燵に向ひ合つて、文六とおせい。――極度の不安。 家具類は置く必要なし。――夜である。 文六は、独酌で盃を傾ける。もう、大分酔ひがまはつてゐる。 おせいは、時々袖を眼にあてる。 天井裏で、ゴトンといふ音。二人――殊に文六は、水をひつかけられたやうに首を縮める。二
岸田国士
この雑誌の前の号で、私は坪田譲治さんの文章を読み、いろいろな感慨にふけつた。 坪田さんは、すぐれた作家であるが、それなら、人間生活の美醜について最も敏感なはずであり、また、人間生活を美しいものにすることをねがつてゐるにちがひない。ところが、さういふひとがこの雑誌をみて、あゝいふ感想を抱くといふことは、いつたいなぜなのだらう。もちろん、それは坪田さんの人柄によ
岸田国士
人間が生涯のうちで少くとも一度か二度は精神の遊びを試むべき「趣味」の草原へこの作家ほど自然に人を導き入れる作家がほかにあらうか。 機智や皮肉を軽蔑するのはいゝ。だが、フランスの寛容な微笑に心惹かれぬものは、感動の上に跨つて静々と鞭をふる文体の魅力に縁なき人々であらう。彼にあつては、思想が恰も掌の上にあるかの如く見え、読者は常に身軽な逍遥の道づれとして彼一流の
岸田国士
僕は未だ嘗て「余は新感覚派なり」と自称した覚えはない。また、人が「彼らは新感覚派をうち立てようと努力してゐる」と云ふのに対して、「然り」と云つた覚えもない。 処で、最近、新聞や何かで、大分「新感覚派」がやつつけられてゐるのを見て、「おれは一体、新感覚派なのか知ら」と自ら問ふた次第である。 文芸時代の同人は大部分新感覚派であるといふのが定評であるらしい。大部分
岸田国士
芝居の脚本を書くのには、まず、標題のつぎに、その劇が行われる時と場所と登場人物とを、はつきり書きあげるのが定石である。 私はいま、ここで脚本を書くつもりはないが、年々歳々、違つた場所で正月を迎えるのが例のようになつてしまつた私の年頭感は、まず、ああ今年は、こんなところで年をとることになつたか! である。 いよいよ六十三回目の元日は、この小田原でということにな
デカルトルネ
聖なるパリ神学部の いとも明識にしていとも高名なる 学部長並びに博士諸賢に レナトゥス デス カルテス 私をしてこの書物を諸賢に呈するに至らしめました理由は極めて正当なものでありますし、諸賢もまた、私の企ての動機を理解せられました場合、この書物を諸賢の保護のもとにおかれまするに極めて正当な理由を有せられるであろうと確信いたしますので、ここにこの書物を諸賢にい
デカルトルネ
聖なるパリ神學部の いとも明識にしていとも高名なる 學部長並びに博士諸賢に レナトゥス デス カルテス 私をしてこの書物を諸賢に呈するに至らしめました理由は極めて正當なものでありますし、諸賢もまた、私の企ての動機を理解せられました場合、この書物を諸賢の保護のもとにおかれまするに極めて正當な理由を有せられるであらうと確信いたしますので、茲にこの書物を諸賢にいは
兼好法師
鬱屈のあまり一日じゅう硯にむかって、心のなかを浮かび過ぎるとりとめもない考えをあれこれと書きつけてみたが、変に気違いじみたものである。
稲生正令
一、三次五日市奥近在、布野村と申す所に、まづしき百姓夫婦に男子壱人もち、相くらし居けるが、其の子うまれ付殊の外じやうぶにて、六七歳ぐらひにも相成候へば、近所の十歳ばかりより十四五歳ぐらひの子供をあつめ、すもふなど取り候へども、なか/\寄付くものもなく、其外けんくわなどいたし候へども、及ぶものもなく候へば、親どもよろこび、まことに鳶が鷹とやら、此方じきが子にし
管野須賀子
曰く婦人問題、曰く女学生問題、と近年遽かに女の問題は、所謂識者の口に筆に難解の謎の如く、是非論評せらるゝに至れるが、而も其多くは身勝手なる男子が稍覚醒せんとしつゝある、我等婦人の気運を見て、驚きの余り我田引水の愚論を喋々せるものにして、耳を傾くるの価値あるものは、殆んど皆無と言ひても差支なき程なり。 そは兎もあれ、妾は今、言稍極端なるに似たれ共、今日の婦人に
アポリネールギヨーム
私は老婦人たちが彼女らの少女だつた時分のことを話すのを聞くのが好きだ。 「私が十二の時でした、私は南佛蘭西の或る修道院に寄宿してをりました。(と記憶のいい老婦人の一人が私に物語るのであつた。)私たちは、その修道院に、世間から全く離れて、暮らしてをりました。私たちに會ひに來られたのは兩親きりで、それも一月に一遍宛といふことになつてゐました。 「私たちは休暇中も
芥川多加志
突然、すこしおそろしい音がした。それから、どたんばたんといろ/\の物音が矢つぎ早にしたかと思ふと、しいんとなつた。 はじめにした声は、俊一がその弟を叱りつけたのである。何か気に障つたことがあつたのだらう。弟と向ひ合つてゐて、俊一は突然怒鳴つた。そして、ちよつと仁王様に似たやうな顔付になつたが、その自分の怒つた顔に自信がないために、どこか抜けたところがありはし
青木正児
明治二十五年の春、私は赤間関(今の下関)文関尋常小学校に入学した。たしか二年の修身の教科書に「九年母」という話が載っていた。田舎の子供が母から九年母を親戚に贈る使いを言いつけられて、途中風呂敷包を開けてみると九個ある、一個食べておいて、「八年母を差し上げます」と差し出したという話。私はなぜかその話が面白くて、今でもその挿図の子供の姿が眼に残っている。私は九年
板谷波山
私は明治二十二年九月に美術学校に入りまして、年は十八歳でした。その時分は入学の月がいまとちがいまして、九月でした。卒業は二十七年になります。 入学したときは、岡倉先生はまだ校長ではなく、大学総長の浜尾新先生が兼ねておりまして、岡倉先生は幹事でした。しかし、学校の実権は岡倉先生がふりまわしておりました。若かったですよ。先生より年上の生徒が幾人かおりました。こど
五十公野清一
私たちが、子供のころから、親しみなれてきた一休さんは、紫野大徳寺、四十七代目の住職として、天下にその智識高徳をうたわれた人でした。 一休さんは、応永元年一月一日、将軍義満が、その子義持に職をゆずった年、南朝の後小松天皇を父とし、伊予局を母として生れました。 しかし、一休さんを生んだ伊予局は、后宮の嫉妬のため、身に危険がせまったので、自分から皇居をのがれること
五十公野清一
こどものとき 一休さんは、千菊丸という なまえでした。 ある はるの日の ことです。千菊丸は うばに つれられて きよみずでらに おまいりに いきました。 おてらの にわは さくらの 花が まんかいでした。 はらはらと ちる さくらの はなびらの したでは、おばあさんや お母さんに つれられた 子どもたちが、あそびたわむれています。 「きれいだなあ ばあや。
ホワイトフレッド・M
主な登場人物 備考 アイダ 娘 バンストン 父 エイビス 結婚相手 エルシ 服飾仕立師 バレリイ 上流社会の令嬢 ウォルタ卿 英国ベルリン大使 グレイ 大使の個人秘書 グラスゴウ 殿下、諜報部長 トラフォード警部補 警部補 ヘプバン編集長 編集長 アーノット 新
ホワイトフレッド・M
主な登場人物 備考 ジョン・ギルレイ 殺人の被害者 フィリップ・テンプル 編集長、フィル スパロウ警部補 警視庁 ジェーン・マーチン 現・家政婦 イズミ 前・家政婦 エルシ・シルバデール 旧姓ゴードン ジョン・ゴードン卿 エルシの父 シルバデール公爵 エルシの夫 ハリンゲイ公爵 東部の名門貴族 サディ・マクレガ
ホワイトフレッド・M
登場人物 備考 メイ・ヘアデール ジョージ卿の一人娘 ジョージ・ヘアデール メイの父、男爵 レイモンド・コプリ 南アのダイヤ成金 エアロン・フィリップス ハリーの昔なじみ フォスタ コプリの仲間 ハリーフィールデン メイの幼友達 フィールド ハリーの別名 ジョーラッフル ハリーの老馬丁 マロウ
ホワイトフレッド・M
主な登場人物 備考 グラント 主人公 メイ 婚約者 スペンサ 初老の共同経営者 ブルース卿 メイの父 令夫人 ブルース卿の妻 ジェナ スペンサの召使い マッシングフォード夫人 宝石持ち スミス 謎の人物 スカースデール 共同名義経営者
ホワイトフレッド・M
登場人物 備考 マーク・フェンウィック 億万長者 ヴィラ・フェンウィック 娘、実際は姪 ジム・ガードン 元陸上競技選手 ジェラルド・ベナ なぞの冒険家 チャールズ・レフェニュウ ベイツ ジョージ・レフェニュウ フランス人 ヴァンフォート オランダ人 ベス 白衣の女性 チャールズ