電信柱と妙な男
小川未明
ある町に一人の妙な男が住んでいた。昼間はちっとも外に出ない。友人が誘いにきても、けっして外へは出なかった。病気だとか、用事があるとかいって、出ずにへやの中へ閉じこもっていた。夜になって人が寝静まってから、独りでぶらぶら外を歩くのが好きであった。 いつも夜の一時ごろから三時ごろの、だれも通らない町の中を、独りでぶらぶらと歩くのが好きであった。ある夜、男は、いつ
공개저작물 세계 지식 라이브러리
小川未明
ある町に一人の妙な男が住んでいた。昼間はちっとも外に出ない。友人が誘いにきても、けっして外へは出なかった。病気だとか、用事があるとかいって、出ずにへやの中へ閉じこもっていた。夜になって人が寝静まってから、独りでぶらぶら外を歩くのが好きであった。 いつも夜の一時ごろから三時ごろの、だれも通らない町の中を、独りでぶらぶらと歩くのが好きであった。ある夜、男は、いつ
織田作之助
電報 織田作之助 私は気の早い男であるから、昭和二十年元旦の夢をはや先日見た。田舎道を乗合馬車が行くのを一台の自動車が追い駈けて行く、と前方の瀬戸内海に太陽が昇りはじめる、馬車の乗客が「おい、見ろ、昭和二十年の太陽だ」という――ただそれだけの何の変哲もない他愛もない夢であるが、この夢から私は次のように短かい物語を作ってみた。 三人の帰還軍人が瀬戸内海沿岸のあ
黒島伝治
電報 黒島傳治 一 源作の息子が市の中学校の入学試験を受けに行っているという噂が、村中にひろまった。源作は、村の貧しい、等級割一戸前も持っていない自作農だった。地主や、醤油屋の坊っちゃん達なら、東京の大学へ入っても、当然で、何も珍らしいことはない。噂の種にもならないのだが、ドン百姓の源作が、息子を、市の学校へやると云うことが、村の人々の好奇心をそゝった。 源
豊田喜一郎
愛知縣擧母トヨタ自動車工業株式會社では我國の燃料資源に適合した最も經濟的な自動車を製作して好評を博してゐるが同社研究所に於ては益々國策に順應した自動車を製作せんとデイゼル・エンヂンを完成し中型乘用車を試作し、我國自動車界に一大センセーシヨンを捲起してゐる矢先に今又蓄電池自動車の製作が發表された。副社長豐田喜一郎氏は同車の研究經過に關し次の如く語つた。 「我國
槙村浩
昔は電気がなかったから 昔の昔大昔生れて死んだ浦島に 電気を見せてやったなら 大へんびっくりするだろと 電気を見せたら「オーヤオヤ」 「此の電気はエライ暗いなあ」 ハテナハテナ 昔の昔大昔生れて死んだ浦島が 電気を知ったわけがない ハテナ ハテナとよーくよく 考へたが分らない 仕方がないから浦島に わけを聞いたら浦島は 「わしは今から何億年の 昔に龍宮へ行っ
宮沢賢治
電車 宮沢賢治 第一双の眼の所有者 (むしゃくしゃした若い古物商。紋付と黄の風呂敷) 第二双の眼の所有者 (大学生。制服制帽。大きなめがね。灰色ヅックの提鞄) 第一双の眼(いや、いらっしゃい、今日は。よいお天気でございます。) 第二双の眼(何を哂ってやがるんだ。) (失礼いたしました。へいへい。えゝと、あなたさまはメフィストさんのご子息さん。今日はどちらへ。
豊島与志雄
電車停留場 豊島与志雄 七月の中旬、午後からの曇り空が、降るともなく晴れるともなく、そのまま薄らいで干乾びてゆき、軽い風がぱったりと止んで、いやに蒸し暑い晩の、九時頃のことだった。満員とまではゆかなくとも、可なり客の込んでいる一台の電車が、賑やかな大通りをぬけて、街灯のまばらな終点の方へと、速力を早めて走っていた。車掌木原藤次は、自分の職務にさして気乗りがし
寺田寅彦
電車の混雑について 寺田寅彦 満員電車のつり皮にすがって、押され突かれ、もまれ、踏まれるのは、多少でも亀裂の入った肉体と、そのために薄弱になっている神経との所有者にとっては、ほとんど堪え難い苛責である。その影響は単にその場限りでなくて、下車した後の数時間後までも継続する。それで近年難儀な慢性の病気にかかって以来、私は満員電車には乗らない事に、すいた電車にばか
寺田寅彦
電車と風呂 寺田寅彦 電車の中で試みに同乗の人々の顔を注意して見渡してみると、あまり感じの好い愉快な顔はめったに見当らない。顔色の悪い事や、眼鼻の形状配置といったようなものは別としても、顔全体としての表情が十中八、九までともかくも不愉快なものである。晴れ晴れと春めいた気持の好い表情は、少なくも大人の中にはめったに見付からない。大抵神経過敏な緊張か、さもなくば
幸田露伴
震は亨る 幸田露伴 震は亨る。何をか悪まむやである。彖伝には、震来つて※たりとは、恐るれば福を致すなりとある。恐るれば福を致し、或は侮り、或は亢れば災を致すのは、何事に於ても必ず然様有る可き道理である。古人は決して我等に虚言を語つて居らぬ。恐るれば此心はおのづから誠に返る、誠なれば亨り、誠なれば福は至るべきである。そこで震の大象伝にも、君子以て恐懼修省すとあ
喜田貞吉
九月一日来の関東の大震については、自分の親しく見聞関知したところをいささか書きとめて、その混乱の最も烈しかった六日までの分を「震災日誌」と題して『社会史研究』拾壱月号〔(第一〇巻第三号)〕に掲載したのであったが、七日以後にもかなりひどい余震が繰り返され、世間はそわそわとして震災気分は相変らず濃厚だ。崩壊した古土蔵の土塊のために荒らされた書斎その他はまだもとの
寺田寅彦
震災日記より 寺田寅彦 大正十二年八月二十四日 曇、後驟雨 子供等と志村の家へ行った。崖下の田圃路で南蛮ぎせるという寄生植物を沢山採集した。加藤首相痼疾急変して薨去。 八月二十五日 晴 日本橋で散弾二斤買う。ランプの台に入れるため。 八月二十六日 曇、夕方雷雨 月蝕雨で見えず。夕方珍しい電光 Rocket lightning が西から天頂へかけての空に見えた
喜田貞吉
大正十二年九月一日関東地方に起った大地震は、未曾有の大災害を東京・横浜その他の都邑に及ぼした。いずれこの大変事については、新聞・雑誌が争うて精しい報道に努めるであろうし、また纏まった書物も後には少からず発行されることであろうから、一般のことはすべてこれを省略して、ただ自分が直接見聞関知したことのみを、今日から筆に任せて書きとめておこうと思う。 九月一日夜、炎
永井荷風
仏蘭西現代の詩壇に最も幽暗典雅の風格を示す彼の「夢と影との詩人」アンリイ・ド・レニエエは、近世的都市の喧騒から逃れて路易大王が覇業の跡なるヴェルサイユの旧苑にさまよい、『噴水の都』La Cit des Eaux と題する一巻の詩集を著した。その序詩の末段に、 Qu'importe! ce n'est pas ta splendeur et ta gloire
豊島与志雄
霊感 豊島与志雄 第一話 都内某寺の、墓地の一隅に、ちと風変りな碑があります。火山岩の石塊を積みあげて、高い塚を築き、その頂に、平たい石碑を立てたものです。碑面に、身禄山とありますが、その昔、身禄という行者があって、深山に籠り、禅の悟道に参入して生を終えた、その人のために建てた碑です。大正十二年再建とありますが、大正十二年といえば関東大地震の年で、恐らく、土
豊島与志雄
霊気 豊島与志雄 中房温泉は、既に海抜四千八百尺余の高地にあって、日本アルプスの支脈に懐かれている。早朝に温泉を発して、山の尾根伝いに、見上ぐるばかりの急坂を、よじ登りよじ登り、三時間余にして、燕岳の肩にある小屋に出る。流るる汗を拭いながら、ほっと息をついて見渡せば、正に天下の壮観である。目指す槍ヶ岳の尖峰は、屹然と中空に聳え、鋸歯状に輪廓を刻んで、左手穂高
西周
靈魂爲質。純一無雜。性能感動、而好伸、名曰感性。及其稟化、而與現身相結合。此感性、得覺作二性之資。以爲身國之主宰、而能與外界庶物相交。故感性、與覺作二性相待、而爲用者。名之謂心。是通動性而同焉。 然而、此心雖能應庶物、而無窮。然至内部體機、榮養此心魂、與此躯幹者、則無一相關焉。是通植性而同焉。 又此心、雖能接外界、以引榮養此幹躯之資。然至外物供資之性、則亦無
折口信夫
霊魂の話 折口信夫 たまとたましひと たまとたましひとは、近世的には、此二つが混乱して使はれ、大ざつぱに、同じものだと思はれて居る。尤、中には、此二つに区別があるのだらうと考へた人もあるが、明らかな答へはない様である。私にもまだ、はつきりとした説明は出来ないが、多少の明りがついた。其を中心に話を進めて見たいと思ふ。 古く日本人が考へた霊魂の信仰は、後に段々変
坂口安吾
星のキラキラとした夜更けのことで、大通りの睡り耽つたプラタナの陰には最早すつかり濡れてしまつた街燈が、硝子の箱にタラタラと綺麗な滴を流してゐたが、――シルクハットを阿弥陀に被り僕の腕に縋り乍らフラフラと千鳥足で泳いでゐた霓博士は、突然物凄い顔をして僕を邪慳に突き飛ばした。 「お前はもう帰れ!」 「しかし、だつて、先生はうまく歩けないぢやありませんか――」 「
金田千鶴
霜 金田千鶴 『年寄には珍らしい』と、老婆の大食が笑ひ話に、母屋の方の人達の間で口にのぼるやうになった頃は最早老婆もこの家の人達に厭きられはじめてゐた。つまりそれ丈役立たぬ体となったのである。その事は老婆自身も無意識のうちに感じてゐて何彼につけて肩身狭さうにした。時折米を持ちに行く穀倉の戸を気兼さうにあけた。『容れ物そこへ置いてお出でな、後で持って行ってあげ
近松秋江
霜凍る宵 近松秋江 一 それからまた懊悩と失望とに毎日欝ぎ込みながらなすこともなく日を過していたが、もし京都の地にもう女がいないとすれば、去年の春以来帰らぬ東京に一度帰ってみようかなどと思いながら、それもならず日を送るうち一月の中旬を過ぎたある日のことであった。陰気に曇った冷たい空っ風の吹いている日の午前、内にばかり閉じ籠っていると気が欝いで堪えられないので
末吉安持
夜はくだつ十一時、 霜さむく、圧しくる闇の気の凍に、 舞ひ疲れては黄塵も しくしくと泣き湿り、 侘寝すらし。 色褪めし達摩像、 はた古りし徳利のやうに、つくねんと、 屑本のちりばふ中に 頸ほそう客を待つ 男、女 煤けたる帆木綿に 一品と文字も寂しく、灯は曇り、 皿道具鳴る中へ、つと、 忍びよる黒き物―― 巡査なりき。 火の番の拍子木の 後方より『鍋焼うどん』
宮本百合子
霜柱 宮本百合子 冬の日の静けさは何となく一種異った感じを人に与える。 黄色な日差しがわびしげに四辺にただようて、骨ばかりになった、木の影は、黒い線の様になって羽目にうつって居る。 風もない。木の葉が「かさ」とも「こそ」とも云わない中に、私の下駄の下にくずれて行く霜柱の音ばかりがさむげに響いて居る。 どんよりとした空に、白い昼の月が懸って灰色の雲の一重奥には
中谷宇吉郎
寺田寅彦先生門下の中に、M君という私の友人がある。M君の家は関西でも有名な旧家で、化粧品の製造では日本でも有数な家である。私とは高等学校時代からの同窓で、一緒に大学で物理学を修めた因縁があるので、霜柱と白粉という妙な題目の話が生れたわけなのである。 大学を卒業する間近になって、M君は卒業後二、三年大学で研究生活をして、それから家へ帰って化粧品の製造と研究とに