大下宇陀児 · 日本語
冒頭段落プレビュー
原文 (日本語)
さて、新年の御慶を申そう。 明けましておめでとう。 貴家の万福を祈り、併せて本年もよろしく御交誼のほどを。 ああ、しかし、こう書いてみて、この御挨拶の空々しさは、なんとしたことであろうか。いま私は、駅の向うに火事があり、その火事を見に行つてきたところだ。かなりの大火で、はじめのうち、行こうかどうしようかと思案したあげく、火の見当からいうと、ある程度親しくしている人々が住む地域でもあるし、机上山をなす新刊探偵小説飜訳書を読むのに疲れたところではあり、ともかく行こうと決心して家を出て、駅まで五分、最短距離十円の切符を買つて、あの長い駅のブリツジを渡つて、さて駅の西口へ出た時に、まだ頭から、さんさんとして大小の火の粉がふつてきたくらいだつた。 時刻は、夜の九時半。 この地域に蝟集するバラツク建てのノミ屋とパチンコ屋に、今を盛りと客がはいつている時刻で、それに東京では、新宿に次ぐ多数の乗客を呑吐するといわれる池袋駅で、その眼の先きから出火したのだから、駅前は身動きの出来ぬ雑沓で、悪くすると私など、押し倒されかねまじき形勢である。 火のはぜる音が聞える。ポンプの水しぶきが、頭や襟首へ冷たくかかる

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