片山広子 · 日本語
冒頭段落プレビュー
原文 (日本語)
豚肉 桃 りんご 片山廣子 軽井沢の家でY夫人から教へて頂いた豚肉のおそうざい料理はさぞおいしいだらうと思ひながら、まだ一度も試食したことがない。(その夏は中国と日本とのあひだが険しい雲ゆきになつた年であつた、しかし私たちはまだ軽井沢に避暑に行くだけの心の余裕をもつてゐた。)それはY家の御主人がドイツに留学してをられた時に宿の主婦が自慢に時々こしらへたおそうざい料理だつたさうである。豚肉を三斤位のかたまりに切つて肉のまはりを塩と胡椒でまぶし深い鍋に入れて、葱を三寸ぐらゐの長さに切り肉のまはりに真直ぐに立てて鍋いつぱいにつめ込むのである。水も湯も少しも入れずに葱と肉から出る汁で蒸煮のやうに三時間ぐらゐも煮ると、とろけるやうにやはらかい香ばしい料理ができるといふお話であつた。 その夏その料理を教へていただいて帰京してからの私たち東京人の生活はだんだん乏しくなつて、やがて一斤の肉さへ容易に手に入れがたくなり、葱なぞは四五本も買へれば運がよいと思ふやうになつた。その貧乏生活が十年以上も続いて漸くこのごろはどんな食料でも手に入るやうになつて来たけれど、しかし店々にどんな好い物が出揃つても、大きな
片山広子
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