徳田秋声 · 日本語
冒頭段落プレビュー
原文 (日本語)
その時彼はちようど二人の女と差向ひにすわつてゐた。一人はその家の主婦で、一人は一流の花柳界にゐる女であつた。 そこは彼が時々息安めに行くところであつた。何の意味がある訳でもなかつた。生活の対象とか何とかいふ種類のものでは無論なかつた。緊張した愛の生活をするには、誰しもさう云ふものを欲するとほりに、彼も亦心易く友達と一緒に御飯の食べられるところが一つくらゐほしかつた。それには其処より外、知つたところがなかつた。余り好子のことで苦しくなつたとき、水辺のその家へ彼は出向いて行つた。その主婦の三十年の生活には、なまじつかな作家が筆をつけられないやうな人生と恋愛場面とが、まるで斧鉞を入れない森林のやうにあつたといふことも、彼としてはなか/\に看脱せないことであつた。 その時も彼はその家の小座敷にゐた。彼は昨日仕事の道具をもつてホテルへ出かけた。そして今日こゝへ飯を食ひにやつて来て、暫らく話しこんでゐた。昨日はちやうど好子が宏太郎と一緒に浜へ行くことになつてゐた。宏太郎の友人の洋行を見送り旁々、船を見たいといふので、同伴する相談が、二三日前宏太郎と彼女のあひだに成立つてゐた。その友人は好子の作品を
徳田秋声
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