豊島与志雄 · 日本語
冒頭段落プレビュー
原文 (日本語)
或ところに、センイチといふ猟師がゐました。たいへん上手な猟師でしたが、或日、どうしたことか、何の獲物もとれませんでした。鉄砲をかついで、一日山の中を歩きまはりましたが、小鳥一羽、鼠一ぴきも、見あたりませんでした。 「へんな日だ。今日はだめかな。」 さうつぶやいて、彼は家に帰りかけて、大きな森を通りかゝりました。もう日が沈んで、あたりは薄暗くなつてゐました。 「このおれが、何一つ獲物を持たないで家に帰るなんて、今日はふしぎな日だ。」 そしてぼんやり考へこみながら、森の中を通つてゐますと、何だか、誰かうしろからついて来るやうな気がしました。それで振向いてみると、ちよつとびつくりしました。柄の長い鍬をかついで、黒い着物をきて、大きな帽子をかぶつてる百姓らしい男が、すぐうしろについてきてるんです。 男はいきなり彼に話しかけました。 「お前さんは、どちらから来たんだい。」 「どつちからつて……。」と彼はどきまぎして答へました。「わたしは猟師だ。鉄砲をかついで一日歩きまはつてるので、どつちからつてことはない。」 「ふむ、それでも見たらう。」と男は言ひました。 「何を……。」 「穴を掘つてるのを。」
豊島与志雄
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