中谷宇吉郎 · 日本語
冒頭段落プレビュー
原文 (日本語)
まだ戦争中の話である。 三月十日の未明、本所深川を焼いたあの帝都空襲の余波を受けて、盛岡の一部にも火災が起きた。丁度その時刻には、私は何も知らずに、連絡船の中でぐっすり寝ていた。 青森に着いても何事も知らされず、いつものように乗客は先を争って汽車に乗ろうとし、それを制止する駅員の声がとぎれとぎれに雑沓の中に響く、普段通りの連絡駅風景であった。雪が少しばかり降っていた。 やっと座席がとれてほっとした。やれやれこれでとにかく東京まで行けるのである。黙って坐ってさえいれば、いつかは東京に着けるということが、この頃は少し不思議なことのように感ぜられるくらいである。 ところがこの時は、折角のその安心感が僅か半日で打ち切られてしまった。盛岡へ着いてみたら、駅の周囲がすっかり焼けていて、まだ余燼が白く寒空に上ち昇っている風景に遭った。今朝の夜明けに初めての空襲があって、駅も少しばかりの被害を受けた。とにかく汽車は此処で打切るから、次の盛岡始発の列車に乗れという話である。 重い荷物を持ちあぐみながら、いわれた通りに三時間ばかり待って、次の列車に乗ろうとしたが、恐ろしい雑沓でとうとう乗りはぐれてしまった
中谷宇吉郎
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