中谷宇吉郎 · 日本語
冒頭段落プレビュー
原文 (日本語)
墨絵を始めてから、もう二十年近くになる。北支事変の一寸前頃、難病を患って、伊豆の伊東で、二年間療養したことがある。その時に覚えたのが、随筆を書くことと、墨絵とである。 その後随筆の方は、大分註文が多くなったが、墨絵の方は、あまり註文がなかった。無料でやったのがいけなかったのかもしれない。もっともそればかりでなく、本質的な理由もある。何時まで経っても、上手にならないからである。 私の高弟の小林勇君などは、見る見るうちに上手くなってとっくに師匠を凌駕してしまった。私を帝展の審査員とすると、勇は大観、古径の級になってしまった。もっとも熱心の度が違うので、これも致し方がない。牡丹の絵巻物をつくるとなると、毎朝五時に起きて、庭へ出て、出勤までの二時間を、画境三昧に入る。 それを一日も欠かさず、降っても照っても、毎朝、花期の間中つづけるのであるから、いささか恐れ入る。雨の降る日は、奥さんが傘をさしかけていてくれるのだそうである。これだけの熱心さと内助の功とがあれば、誰だって、絵は上手になる。 勇はそれを才能のせいと思っているらしく、この頃一緒に画を描くと「中谷さんは、いつまで経っても、ちっとも上手
中谷宇吉郎
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